もうひとつの柏3:『 ふるさとは いずこと問わば 下ふさの 手賀の浦べの わしの谷の里 』


「山崎弁栄展」が没後百年顕彰事業として柏市郷土資料展示室(柏市役所沼南支所隣)にて9月30日まで開かれています(月曜日休館※祝日・振替休日は開館、無料)。

この場でもご紹介して、「弁栄展」にお誘いしたいと思います。
なお、宗教哲学的な部分は私の理解する範囲でということでご容赦ください。

地元有志による弁栄上人顕彰碑 鷲野谷医王寺薬師堂前


“大正の法然”と評される弁栄上人は幕末に手賀沼のほとり、柏市鷲野谷の農家の長男として生まれました。

鷲野谷医王寺には、出家時に薬師堂において掌に蝋を垂らしながら眠気を遮って21日間の断食称名の修行をしたという逸話も残っています。

国内での様々な修行を重ねたのち、1894年(明治27年)には単身インドへ渡り仏跡を巡拝。その後、新たな法門“光明主義”を説くようになります(ちなみに私の名はここからいただいています)。

インドから持ち帰ったと伝わる菩提樹  泉龍泉院本堂前


多くの書画を描いたり、「阿弥陀経」を図絵化したり、音楽も取り入れ布教するなど、卓越した芸術的才能により教えをやさしく伝えたために支持者は全国にひろまりました。


たとえば、「両手同時書」は左右両手で同時に二つの和歌を書いたもの。

人並み外れた技には人々の注目が集まります。

米粒の上に小さな文字を書いた米粒名号は、何が書いてあるのかと目を凝らして“南無阿弥陀仏”と読み上げます。
それで名号を念じたことになる。また、経文を小さな文字で線にして描いた釈迦三尊図は、線をたどって読んでいくうちにお経をあげることになる。

キリスト教の影響からか讃仏歌を作詞作曲し、アコーディオン(手風琴)を弾きながら全国を行脚したなど、現代でもこのような異能の宗教者は少ないでしょう。

弁栄上人の生まれ育った当時、手賀沼は江戸と各地を結ぶ水運の要衝になっていました。生家近くにはロシア正教の教会が建てられています(柏市手賀に茅葺屋根の教会が現存しています)。
いち早く国際化による新しい価値観や思想に接する機会があったかもしれません。
明治初めは廃仏毀釈により仏教の在り方そのものが問われている時代でもありました。

自然科学や西洋哲学が流入し、社会や価値観が大きく変容している中で、弁栄上人は浄土宗も大乗仏教もキリスト教もその本質において一つであると考えました。
そして、絶対的存在を尊び敬うことで人間としての尊厳ある生き方ができるという“光明主義”に体系化しました。


「近代」はすべて自我を中心に考え、その結果、競争や孤立が生まれる。
また、すべて科学的に計量的にと考えると、効率や合理性から疎外されることもある。
そのような中では人は居場所を失い、人間としての尊厳が失われる。

そこから脱却するためには、自らが不完全であることを認め、自分が生きるのでなく絶対的なもの(大いなるもの)の働きによって生かされていると知ること。
大いなるものの光のあたる場所において尊厳を回復できる、と。

ある法話で「科学技術は人間の可能性を広げてくれる。一方で、宗教信仰は人間のやってはいけないことを教えてくれる。どちらが欠けてもいけない」と聞いたことがあります。

農業ではいま、ある除草剤の是非が話題になっています。
直接人間の健康に害はないとされますが、土壌微生物に大きな影響を与えているという研究も出ています。
食料生産におけるグローバル企業の世界戦略資材ではないかと社会問題としても取り上げられています。米国の健康被害訴訟では原告側に和解金を支払い、メーカーは生産を続けようとしています。
世界各国で使用禁止あるいは使用制限が進んでいますが、日本では使用を禁じられていません。
科学的判断は流動的なため、労力を軽減させる有効な資材として使うのか、様々な問題を抱えているので使わないのか、現場での判断に任せられます。

わたしたちはいつも他の人に「いいね」って認めてもらいたいと願っています。
私も直売所で自分の作ったナシが売れるとうれしく思います。
しかし、もっともっと「いいね」が欲しいからとむりやり収量を上げたり、規模拡大したからといって必ずしも経営の安定や豊かな生活の実感を得られるとはかぎりません。
土や体を壊してしまうかもしれません。そうなったら何のために働くのかわからなくなります。

農業をしていると思うようにならないし迷うことばかりですが、見上げるといつもそこにお天道様がいて、見守られている気もします。
時には雨や風や雪の試練を受けることもありますが、時には無償の情愛によって人間を慈しまずにはいられないような存在。
時には畏れ、時には赦しを乞う同伴者のように。
農家にとっての“大いなるもの”は お天道様ではなかろうか。

迷ったら、それはお天道様に赦してもらえるのかを考えたい。
お天道様に認められるとはいいものができるということです。
いいものは結果的にお客様に「いいね」をもらえるはずです。
お天道様に認められる喜びのある農業をしたいものだと、機会があれば、これから農業を目指そうという若い人たちに話してみたいと思います。

手賀沼にのぼる朝日


“大いなるもの”は、人間が慈悲を求めるよりもいっそう強く人間にふるまい方を求めるといいます。
大いなるものを求める道を「霊性思想」というそうですが、弁栄上人は『日本的霊性』を著した鈴木大拙よりも50年以上も前に霊性思想をまとめ、“近代日本での最初の、かつ、最大の思想家”であるといわれます(若松2015)。

鈴木大拙は「霊性とは、人生の困難に立ち合い、苦しみ、因果の世界にあって永遠を求めずにはいられない生の衝動」であるといっているそうです。
それは、現在の損得で考えるのでなく、過去と未来への誠実において判断する生き方、考え方のようです。


今回の新型ウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)の中で、あるウイルス学者が「所詮、人間はウイルスの支配下にあるようなもの」と話していました。
また、最近の研究で人間は体内の微生物に左右されるとわかってきました。
もちろん農業も微生物の働きに左右されます。ウイルスも微生物もわからないことばかりです。
パンデミックの渦中にある今、自我も科学も及ばない事態に直面しています。

100年前、弁栄上人はスペイン風邪の流行の中で亡くなっています。
現代に蘇ったらどういう話をしてくれるでしょうか。

ちなみに私は今回のパンデミックを“コロナ禍”と呼びたくありません。
“コロナ”とはお天道様の光の冠のことですし、商品や会社の名称に使われるくらいの良いイメージがあります。なにより学生時代に私が最初に乗った車が中古のトヨタコロナでしたから。

弁栄上人は幼少期に手賀沼のほとりで農作業をし、12歳の時に夕景に阿弥陀三尊をみたといいます。
手賀沼は東西に長く、朝な夕な、お日様やお月様の荘厳な姿を見ることができます。
手賀沼のほとりで農業をしているひとりとして、弁栄上人の思想に農業の経験と手賀沼の存在が影響しているに違いないと思いたいですね。

上人はこんな夕景に阿弥陀三尊を見たのでしょうか
知恩院、高野山など全国に6カ所ある墓所の一つ 鷲野谷医王寺薬師堂裏

参考資料 ①紀野一義『名僧列伝(四)』1978、文藝春秋
     ②川波定昌『如来さまのおつかい 弁栄上人の生涯と光明主義』2009、財団法人光明修養会
     ③若松英輔『霊性の哲学』2015、角川選書
     ④ウェブサイト『山崎弁栄上人-念仏三昧の聖者』    
      http://www.bennei.net/

この記事を書いた人:すぎの梨園 杉野 光明(すぎの みつあき)

父の代から沼南地区で梨の栽培を始める。1973年から本格的に梨栽培を手掛け、1988年に就農。2013年には梨栽培を中心に農産物やジャム類・ドレッシングなど加工品も開発。梨シーズン中は自家直売所のほか、道の駅しょうなん農産物直売所でも販売。
また、休耕地を有効活用したひまわり栽培に取り組み、食の地産地消を目指してひまわり油を販売中。

https://sugino74en.jimdofree.com/
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