近世の布施村は柏市域でも、最も繁栄した村でした。中世から利用されてきた「七里の渡し」は、常陸方面への主要な玄関口だったのです。江戸への物資輸送路として流路が変えられた利根川でしたが、土砂の堆積によって高瀬舟も航行がままならなくなると布施河岸がつくられ、流山への陸路が開かれます。布施は人・物・文化が交差する拠点となっていきました。今回の歴史散歩は、布施道(うなぎ道)に沿って由緒ある神社仏閣を訪ね、花々が咲き競う「あけぼの山農業公園を」目指します。
古谷入口バス停
(柏駅西口から東武バス乗車)
古谷入口バス停~八坂神社へ
徒歩 10分
距離 550m
八坂神社(布施)
地元では「みこし殿」と呼ばれ、牛頭天王(ごずてんのう)をまつる神輿が納められています。牛頭天王は京都八坂神社の祭神として知られ、疫病・農作物の害虫、その他邪気を払う神様として信仰されてきました。いまでも7月15日前後の日曜日が祭礼日で、神輿が車に乗せられて各坪を廻り、疫病退散が祈願されています(今年の祭りはコロナ感染症の感染状況によっては、予告なく中止あるいは変更になることがあります)
「みこし殿」裏手には、多くの石塔が建てられています。いわゆる卵塔と呼ばれる僧侶の墓塔で、眠っているのは東海寺の歴代住職です。ここはもと東海寺のあった場所で、宝永2年(1705)、弁才天の祀られた亀の子山へ引越し、今日の隆昌を迎えるのです。
住所 柏市布施442
TEL なし
八坂神社~善照寺へ
徒歩 1分
距離 170m
善照寺
鎌倉時代、遊行二祖他阿真教上人によって開かれた柏市で唯一の時宗寺院。本尊は善光寺式阿弥陀三尊像で、13世紀末から14世紀初頭の制作とされ、当時、布施一帯を支配した相馬氏一族によるものと考えられます。境内には時宗の開祖一編上人像が立ち、見事なスダジイの大木が長い寺の歴史を語っています。
※善光寺式阿弥陀三尊像は柏市有形文化財に指定されており、通常は非公開。
住所 柏市布施625
TEL 04-7131-4473
善照寺~香取神社へ
徒歩 1分
距離 100m
香取神社(布施)
本社の香取神宮は香取市佐原に鎮座し、鹿島神宮と並んで大和朝廷が早くから関係を持った神社です。カトリの名称はカジトリ(舵取り)に由来し、水運を掌るものとされ、祭神は経津主(ふつぬし)神。下総国の一宮として、利根川水系を中心に多くの分社があり、柏市内でも一番多い神社です。布施の香取神社もこのうちの一社で、参拝者への啓発のために社殿の三方には「司馬温公の甕割り」「黄石公と張良」などの見事な彫刻が施されています。鳥居の石段を下ると、人通りの少ない小道に突き当りますが、この道がかつての「布施道」です。布施河岸からの米・油・酒・茶などが馬の背で、加村河岸へと運ばれました。街道を行く人々を見守り続けた神社です。
住所 柏市布施635
TEL なし
てくてく…布施弁天の方へ歩きます
あ!髙野さんが寄り道を!
香取神社~南隆寺へ
徒歩 10分
距離 550m
南龍寺
布施村は柏市域で最も大きな村で、元禄11年(1698)新しく領主となった本多氏に提出した『村差出帳』には4か寺が記載されています。南龍寺もその一つで、正保4年(1647)浄土宗寺院として創建され、寛文9年(1669)現在の地に引っ越したと記録されています。竹林山と号し、本尊は阿弥陀如来です。境内の墓地には、明治29年(1896)鉄道開通に伴って開設された柏駅の誘致に、大きな役割を果たした小柳七郎の墓もあります。
住所 柏市布施1285
TEL 04-7131-6913
小柳七郎って、どんな人?
布施村で代々、医師を営む小柳家に生まれました。松ケ崎村出身の儒学者芳野金陵の塾で漢学修業を重ね、小金原の開墾に参加するなどの事業家としても活躍します。明治29(1896)年の鉄道開通に際しては、自らの土地10町歩を提供して誘致活動を行い、柏駅開設に大きな役割を果たした人物です。七郎がいなければ、今日の柏市は少し様子が違っていたかもしれません。『富勢村誌』(大正6年刊行)によれば、その人物評は「鉄道が敷設されるや、イバラの生い茂る荒れ野を市街の地となしたり。豪快にして、よく談じ、よく語る。まれに見る奇人なり」とあります。
布施村名主 後藤家
布施村は大村であったので、成嶋家と後藤家という二軒が、一年交代で名主役を務めていました。後藤家ではこれに加えて布施河岸の河岸問屋も兼ねています。河岸問屋は荷宿とも呼ばれ、「着岸」した荷の数量・手付荷などを改めて船頭より受取り、馬を呼び集め村方のものに公平に順番に荷を割り振るのが仕事で、荷主からは一定の手数料が支払われました。村の有力者であった後藤家には多くの古文書資料が残されており、当時の様子を窺うことができます。中でも注目されるのは江戸時代の中頃、東海寺の住職を支援し、あけぼの山に桜を植え、集客による観光地化を図ったことです。江戸はともかく、花見は庶民の娯楽としてはまだまだ普及していませんでした。地域性や時代を考えれば、相当先進的な取り組みといえるでしょう。その後も俳人白井鳥酔(しらいちょうすい)等を招き、句会などを開いて桜山を宣伝し、維持していったのです。※現在もお住まいとして使われていますので、敷地内には入れません。
住所 柏市布施1589
後藤家~橋本旅館へ
徒歩 3分
距離 240m
橋本旅館
布施道を行き交う人々や、布施弁天への参拝客、あけぼの山の花見客が利用したのが橋本旅館。創業は天保年間(1830~1843)とされ、戊辰戦争末期、東北に向かう旧幕府軍の大鳥圭介・土方歳三らが布施に布陣した時には、本陣として使われたと伝えられています。利根川から揚がった鰻や鯉の料理が旅人たちの楽しみでした。※柏市の古民家再生プロジェクトで、カフェとして営業されています。「街かどcafeYADOYA」
住所 柏市布施1589
写真:小川兄弟
布施弁天
紅龍山東海寺と号する真言宗豊山派の寺院です。もとは布施村の古屋地区にありましたが、宝永2年(1705)弁才天が祀られていた亀の子山に引っ越し、これと一体化することによって、繁栄の一途をたどることになります。
赤松宗旦の『利根川図志』(安政5年・1858)に「田中に孤山あり。弁財天を祀る。ここは関東三弁天の一にして、詣人群衆し、戸頭の渡船を望み、曙山の桜楓を眺めて頗る勝景と称するに足れり。」
また、明治39年に訪れた大町桂月は、「布施の弁天は小孤丘の上にあり。階下に楼門をひかえてかなり大なり。老樹しげる。むかしより名高き寺にて今も参詣者多し。丘より南数十間のところは桜山とて、桜多く眺望もよし。布施弁天は一遊して可なる処なり。(略)」と『東京遊行記』に紹介しています。
※布施弁天については、次回の「こだわり・柏の社寺」第2回で特集します。
住所 柏市布施1738
TEL 04-7131-7313
弁天古墳
布施弁天の参道階段に向かって、右手の小高い森が弁天古墳です。5世紀の前半に造られた前方後円墳で、墳丘の長さは35メートルあり、頂上部には後世に祀られた妙見菩薩のお堂があります。埋葬施設からは滑石製の模造品や臼玉、鉄剣などが出土していますが、この古墳を有名にしたのは石枕と立花の発見でした。石枕や立花を伴う埋葬方法は、香取地域から印旛沼周辺に主に分布しており、なぜ、このような場所から発見されたのか、古代のロマンにあふれた古墳です。
布施弁天~あけぼの山農業公園へ
徒歩5分
距離100m
あけぼの山農業公園
18ヘクタールの敷地面積を誇る農業がテーマな柏市の公園。さくら山や日本庭園(柏泉亭)など、変化に富んだ魅力が自慢です。さくら山は近世中期、人工的に植栽され有名になったもので、地域おこしの先進的な例として注目されています。域内には小林一茶の句碑も建てられています。
住所 柏市布施2005-2
TEL 04-7133-8877
柏の古文書や石像をず~っと調べて40年。
柏の歴史って素晴らしいので、ぜひお知らせしたいと思っています。