今回は、東武アーバンパークライン増尾駅で下車、中世相馬氏ゆかりの古刹などを巡りながら、大津川を渡って「まちの駅・中村順二美術館」を目指します。中世の増尾は、相馬胤村から師胤・重胤・親胤へと奥州相馬氏嫡流に相伝されていった地域で、今日でもところどころに当時の面影を偲ばせています。また増尾は、孤高の洋画家高島野十郎や、北原白秋の二番目の妻として数奇な運命をたどった女流歌人江口章子が、一時期を過ごした地でもあります。
増尾駅
妙蓮寺
慶長山と号する日蓮宗のお寺です。『土村誌』によれば、慶長7年(1602)の創立と伝えられ、山号の由来となっています。かつては、五重塔などたくさんの文化財で知られる中山法華経寺の末寺で、本尊は釈迦如来、本行院日元によって開かれました。美しい白壁越に庭園の樹木が映え、素敵な散策路が続きます。
土小学校・土村道路元標
この地域の小学校の歴史は、明治5年萬福寺に増尾学校が創設されたことに始まります。その後、逆井学校などと合併を繰り返しながら今日の土小学校にいたりました。創設当時の学校経費は、学区内の負担が大きかったため、経済的な理由から女子の就学率は低かったといわれています。小学校が現在の場所に移転したのは明治20年とされ、明治32年に植えられた桜の大樹が、校庭から子供たちを見まもってきました。
小学校近くの増尾ふるさと会館前には、土村の道路元標が建っています。頭部が円い角柱で、正面に「土村道路元標」側面に「大正十一年十一月」と刻まれています。大正期に全国の役場前に道路の起点として建てられたものです。
少林寺
増尾山少林寺と号し、柏市名で唯一、臨済宗大徳寺派に属するお寺です。少林寺によれば開山は馬橋万満寺2世の雪傅宗屋和尚、開基を相馬重胤(そうま しげたね)としています。
重胤は相馬一族の内紛によって奥州に移住し、奥州相馬氏の祖となった武将。南北朝の内乱では北朝側に属し建武3年 (1336年)、片瀬川の戦いで敗れ、同年4月、鎌倉法華堂で自害しました。永禄元年 (1558年)正月、重胤の子孫にあたる相馬慶胤 (嗣嶽慶胤禅師)が、重胤の供養のために奥州相馬家より、彼が守り本尊とした小さな観音像を増尾に請来し、増尾山少林寺が開山されました。少林寺の墓地には、重胤の墓とされる一石五輪塔が伝えられています。
江口章子歌碑
寺の入口左手に建つ歌碑は、江口章子のものです。章子は、北原白秋の二番目の夫人であり、自身も『女人山居』などの詩作に才を発揮しますが、心を病み数奇な運命をたどった歌人でした。
萬福寺
医王山安養院と号する真言宗豊山派のお寺。山門をくぐるとゴジラなどいろいろなキャラクターの彫刻が迎えてくれます。正面の本堂には本尊薬師如来をはじめ、毘沙門天など諸仏が祀られています。
萬福寺で注目されるのは、平安時代後期(12世紀)の造立と推定されている阿弥陀如来像(千葉県有形文化財・非公開)。作風は地方的な性格が強く、当時この地を治めていた相馬一族によって造像されたと考えられています。
伊藤家住宅
伊藤家住宅の主屋は寄棟造りの茅葺きで、四周を出桁造りとするなど、下総・上総地方の伝統的な民家建築の特徴を示し、さらに敷地内には離れ・隠居屋・土蔵・牛小屋・井戸上屋が建ち並んでいます。伊藤家住宅は、この地方の農家の伝統的な屋敷構えを伝えていることから、平成30年、国の登録有形文化財に登録されました。
幸谷(こうや)城館跡
伊藤家住宅の南側に広がるのが幸谷城館跡です。主郭部は東西約100メートル、南北約60メートルの規模で、周囲を土塁が囲んでいたようです。本土寺過去帳の「文明十七(1485)乙巳八月、コウ城ニテ 三谷小二郎其外打死諸人成仏」の記述は、この城を指すとする説も有力で出土遺物からも15世紀後半に築かれ、長い間城館か屋敷として使われていたと考えられています。
※松戸市にも幸谷城址がありますが、こちらは天文6年(1537)小金城主、高城胤吉が築城したものです。
高島野十郎アトリエ跡
月やローソクの絵で知られる洋画家高島野十郎も、この一角にアトリエを構えました。写生旅行で訪れた増尾の風景が気に入ったのです。師にもつかず、画壇とも交わることも好まなかった孤高の画家が、最後に選んだのは増尾の自然景観でした。
妙見堂跡
ここの字名は本郷と呼ばれ、かつては萬福寺や少林寺もこの付近にあったと伝えられています。二カ寺とも相馬氏ゆかりの寺院であり、相馬氏の拠点がここにあったのでは、という根拠になっています。現在では萬福寺の境外地として記念碑が建ち、相馬氏ゆかりの伝説「まれいど」の案内板がみられます。
増尾地区の字宮根に鎮座し、古来より人々の信仰を集めてきた神社です。慶安3年(1650)には将軍徳川家光から朱印地10石が、宝暦7年(1757)2月には領主本多正珍(まさよし)から石鳥居が寄進されました。
応神天皇を祭神とし、境内社として鹿島神社・大杉神社・天神社・阿夫利神社・八坂神社・香取神社の六社が並んでいます。
境内一帯は縄文時代晩期から弥生時代の遺跡が広がっていることも、早くから知られていました。それぞれの時代の住居址や土器が確認されています。
江口章子旧居跡
章子は、増尾生まれで少林寺ゆかりの中村戒仙と結ばれましたが、すでに心を病んでいました。戒仙の計らいで、この辻堂に暮らし、この時「女人山居」を出版します。昭和2年、聚光院の住職となった戒仙とともに京都へ向かいますが、そこでの数々の奇行により二人は離婚。昭和21年大分の実家で帰らぬ人となりました。
まちの駅・中村順二美術館
ゴールは新しく「まちの駅」となった中村順二美術館です。ダウン症のため27歳で夭折した画家・中村順二さんの描いた作品が季節替わりで展示されています。館長の中村勝さんは郷土史家としても知られ、県内各地の古文書資料を調査してきました。カフェも併設されており、歴史散歩の仕上げに香り高いコーヒーを飲みながら、中村館長との歴史談義はいかがでしょうか。
(参考)
柏市史編さん委員会 平成19年 『歴史ガイドかしわ』
柏市史編さん委員会 平成 7年 『柏市史 近世編』
柏市史編さん委員会 平成 9年 『柏市史 原始・古代・中世編』
柏市史編さん委員会 平成12年 『柏市史 近代編』
柏市史編さん委員会 平成31年 『柏市史(原始・古代・中世 考古資料)』
柏の古文書や石像をず~っと調べて40年。
柏の歴史って素晴らしいので、ぜひお知らせしたいと思っています。