奥州相馬氏ゆかりの増尾地区から「まちの駅・中村順二美術館」をめざす

髙野
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今回は、東武アーバンパークライン増尾駅で下車、中世相馬氏ゆかりの古刹などを巡りながら、大津川を渡って「まちの駅・中村順二美術館」を目指します。中世の増尾は、相馬胤村から師胤・重胤・親胤へと奥州相馬氏嫡流に相伝されていった地域で、今日でもところどころに当時の面影を偲ばせています。また増尾は、孤高の洋画家高島野十郎や、北原白秋の二番目の妻として数奇な運命をたどった女流歌人江口章子が、一時期を過ごした地でもあります。

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増尾駅

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9:00

増尾駅東口から妙蓮寺へ

こんにちは!歴史発見アンバサダーの髙野です。今回は増尾駅からスタートします!相馬郡最大級の谷津田として多くの村を誕生させた大津川の景観に触れながら歩きます。

ハラデテル・イナバです!
ゴールは、歴史文化の発信拠点である「まちの駅・中村順二美術館」まで歩く充実の歴史旅です。
今回は住宅街や目印の無い道路を通るので、道案内を詳しくしています!では、妙蓮寺へと向かいましょう!

妙蓮寺
 慶長山と号する日蓮宗のお寺です。『土村誌』によれば、慶長7年(1602)の創立と伝えられ、山号の由来となっています。かつては、五重塔などたくさんの文化財で知られる中山法華経寺の末寺で、本尊は釈迦如来、本行院日元によって開かれました。美しい白壁越に庭園の樹木が映え、素敵な散策路が続きます。
白壁越しの木々が美しい
綺麗な梅の花が咲いていました~。白壁に映えますね。
妙蓮寺山門
イナバ:居眠り一休さんですね。いい表情(^o^)。
肩にネズミが載っています。
妙蓮寺本堂
妙蓮寺の山号額
では、次は明治時代創設の土小学校を通って大津川の方へ進みます。
正門横には立派な桜の木があります。ずっと子供たちを見守ってきたのでしょう。

土小学校・土村道路元標
 この地域の小学校の歴史は、明治5年萬福寺に増尾学校が創設されたことに始まります。その後、逆井学校などと合併を繰り返しながら今日の土小学校にいたりました。創設当時の学校経費は、学区内の負担が大きかったため、経済的な理由から女子の就学率は低かったといわれています。小学校が現在の場所に移転したのは明治20年とされ、明治32年に植えられた桜の大樹が、校庭から子供たちを見まもってきました。
 小学校近くの増尾ふるさと会館前には、土村の道路元標が建っています。頭部が円い角柱で、正面に「土村道路元標」側面に「大正十一年十一月」と刻まれています。大正期に全国の役場前に道路の起点として建てられたものです。
では、少林寺へ向かいましょう!

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9:30

相馬一族ゆかりのお寺

少林寺
 増尾山少林寺と号し、柏市名で唯一、臨済宗大徳寺派に属するお寺です。少林寺によれば開山は馬橋万満寺2世の雪傅宗屋和尚、開基を相馬重胤(そうま しげたね)としています。
遠くからでも目印になりそうです
少林寺門前の庚申塔
少林寺墓地の石仏群
 重胤は相馬一族の内紛によって奥州に移住し、奥州相馬氏の祖となった武将。南北朝の内乱では北朝側に属し建武3年 (1336年)、片瀬川の戦いで敗れ、同年4月、鎌倉法華堂で自害しました。永禄元年 (1558年)正月、重胤の子孫にあたる相馬慶胤 (嗣嶽慶胤禅師)が、重胤の供養のために奥州相馬家より、彼が守り本尊とした小さな観音像を増尾に請来し、増尾山少林寺が開山されました。少林寺の墓地には、重胤の墓とされる一石五輪塔が伝えられています。
相馬重胤の墓塔
相馬重胤(そうま しげたね)は鎌倉時代から南北朝時代の武士です。この相馬地域から奥州へ移りました。
今の福島県、宮城県、岩手県、青森県の4県と秋田県の一部が奥州だったそうです。福島県にも相馬市という地名が残っていますね。
ここで、チョコっと話を。
江口章子歌碑
 寺の入口左手に建つ歌碑は、江口章子のものです。章子は、北原白秋の二番目の夫人であり、自身も『女人山居』などの詩作に才を発揮しますが、心を病み数奇な運命をたどった歌人でした。

「手賀沼の 水のほとりを さまよいつ 芦刈る音を わがものとせし」

章子と結婚した中村戒仙和尚が少林寺の養子であり、章子を増尾に保護したことから、平成2年、少林寺に地元の有志によって建てられた歌碑です。

ではすぐ近くの萬福寺へ!
萬福寺
 医王山安養院と号する真言宗豊山派のお寺。山門をくぐるとゴジラなどいろいろなキャラクターの彫刻が迎えてくれます。正面の本堂には本尊薬師如来をはじめ、毘沙門天など諸仏が祀られています。
萬福寺山門
萬福寺山門前の石塔群
萬福寺本堂
イナバ:みんなが知っている有名キャラクターに、どことなく似ていますね。。。親戚かな?
 萬福寺で注目されるのは、平安時代後期(12世紀)の造立と推定されている阿弥陀如来像(千葉県有形文化財・非公開)。作風は地方的な性格が強く、当時この地を治めていた相馬一族によって造像されたと考えられています。
平安仏が眠る阿弥陀堂
萬福寺阿弥陀如来座像
ところで『土村誌』などによれば、萬福寺の創建は江戸時代はじめの寛永期と記述されていて、この尊像は中世にはどこに安置されていたのかという疑問が残ります。
かつて増尾地区の本郷には妙見堂が建てられていました。相馬氏の妙見信仰はよく知られており、氏神として祀っていた妙見堂に阿弥陀像が納められていたのではないでしょうか。
平安時代の仏像とは!歴史的・文化的に貴重ですね!
では、戦国時代の城跡へ向かいましょう!
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10:30

伊藤家住宅・幸谷城館跡・高島野十郎アトリエ跡

伊藤家住宅
 伊藤家住宅の主屋は寄棟造りの茅葺きで、四周を出桁造りとするなど、下総・上総地方の伝統的な民家建築の特徴を示し、さらに敷地内には離れ・隠居屋・土蔵・牛小屋・井戸上屋が建ち並んでいます。伊藤家住宅は、この地方の農家の伝統的な屋敷構えを伝えていることから、平成30年、国の登録有形文化財に登録されました。
登録有形文化財・伊藤家住宅
伊藤家の森には稲荷神社がまつられていて「キツネ山」とも呼ばれる
伊藤家は、萬福寺の山門から、道を挟んですぐの場所です。

個人宅のような構えですが、住宅横の竹林(幸谷城跡)など見学できます。
幸谷(こうや)城館跡
 伊藤家住宅の南側に広がるのが幸谷城館跡です。主郭部は東西約100メートル、南北約60メートルの規模で、周囲を土塁が囲んでいたようです。本土寺過去帳の「文明十七(1485)乙巳八月、コウ城ニテ 三谷小二郎其外打死諸人成仏」の記述は、この城を指すとする説も有力で出土遺物からも15世紀後半に築かれ、長い間城館か屋敷として使われていたと考えられています。
※松戸市にも幸谷城址がありますが、こちらは天文6年(1537)小金城主、高城胤吉が築城したものです。
幸谷城館跡
幸谷城館跡の土塁
高島野十郎アトリエ跡
 月やローソクの絵で知られる洋画家高島野十郎も、この一角にアトリエを構えました。写生旅行で訪れた増尾の風景が気に入ったのです。師にもつかず、画壇とも交わることも好まなかった孤高の画家が、最後に選んだのは増尾の自然景観でした。
伊藤家の一角には孤高の画家・高島野十郎がアトリエをかまえていた
作品を拝見したことがあります。写実の鬼という感じです。集中力がすごいなと思いました。
この辺りを描いた作品もあります。のどかな田園風景でした。
では、次も相馬氏ゆかりの妙見堂跡地へまいります。

相馬氏が祀ったとされる妙見堂跡
妙見堂跡
 ここの字名は本郷と呼ばれ、かつては萬福寺や少林寺もこの付近にあったと伝えられています。二カ寺とも相馬氏ゆかりの寺院であり、相馬氏の拠点がここにあったのでは、という根拠になっています。現在では萬福寺の境外地として記念碑が建ち、相馬氏ゆかりの伝説「まれいど」の案内板がみられます。
妙見堂跡に建つ記念碑
この地域に伝わる伝説「まれいど」
柏市観光協会のホームページには、柏のむかしばなし「まれいど」の紹介ページがあります。ぜひごらんくださいね!
では、お正月には地元の方で賑わう廣幡八幡宮へまいりましょう!
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11:30

広幡八幡神社・宮根遺跡へ

ここから神域へ
直線に伸びる静かな参道
 増尾地区の字宮根に鎮座し、古来より人々の信仰を集めてきた神社です。慶安3年(1650)には将軍徳川家光から朱印地10石が、宝暦7年(1757)2月には領主本多正珍(まさよし)から石鳥居が寄進されました。
本多正珍が寄進した石鳥居

応神天皇を祭神とし、境内社として鹿島神社・大杉神社・天神社・阿夫利神社・八坂神社・香取神社の六社が並んでいます。

境内一帯は縄文時代晩期から弥生時代の遺跡が広がっていることも、早くから知られていました。それぞれの時代の住居址や土器が確認されています。

標高20メートルの台地先端部に形成された集落跡です。
人々が暮らしやすかったのですね。
江口章子旧居跡
 章子は、増尾生まれで少林寺ゆかりの中村戒仙と結ばれましたが、すでに心を病んでいました。戒仙の計らいで、この辻堂に暮らし、この時「女人山居」を出版します。昭和2年、聚光院の住職となった戒仙とともに京都へ向かいますが、そこでの数々の奇行により二人は離婚。昭和21年大分の実家で帰らぬ人となりました。
江口章子が身を寄せた辻堂
堂宇の前で微笑むお地蔵さん
江口章子さんを調べてみると、波乱の人生のようでした。人と違う生き方をするのは、すごいパワーが必要なのですね。
そうかも知れませんね。では、大津川へ向かいます。
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11:30

大津川をこえて

大津ヶ丘から相馬氏ゆかりの増尾を望む
廣幡八幡宮から大津川までは一本道を進みます。川をこえてから住宅街となりますので、16号線のレッドバロンを目指して進んでください☆
畑と民家の中を通っていきます。
野菜の無人販売所がありました。
清々しいほどの畑と道。

16号線沿いに出たらすぐそこです!さて、少し休憩しましょう!

まちの駅・中村順二美術館
 
ゴールは新しく「まちの駅」となった中村順二美術館です。ダウン症のため27歳で夭折した画家・中村順二さんの描いた作品が季節替わりで展示されています。館長の中村勝さんは郷土史家としても知られ、県内各地の古文書資料を調査してきました。カフェも併設されており、歴史散歩の仕上げに香り高いコーヒーを飲みながら、中村館長との歴史談義はいかがでしょうか。
順二作品を鑑賞しながらコーヒー
随時企画展も開催される
中村勝館長と奥様
2023年4月から、毎月第2火曜日に「柏の歴史探訪サロン」が開催されます。
興味のある方はかしわインフォメーションセンターまでご連絡くださいね。
今日は結構歩きましたね。大津川を越えてから、大地に上ってっていく時、高低差を体感できて楽しかったです。峠越えという感じでした。
峠越えとは!大袈裟ですネ。どんどん歩いて歴史発見しますよ!

(参考)
柏市史編さん委員会 平成19年 『歴史ガイドかしわ』
柏市史編さん委員会 平成 7年 『柏市史 近世編』
柏市史編さん委員会 平成 9年 『柏市史 原始・古代・中世編』
柏市史編さん委員会 平成12年 『柏市史 近代編』
柏市史編さん委員会 平成31年 『柏市史(原始・古代・中世 考古資料)』

Goal !

この記事を書いた人

髙野
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博夫
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プロフィール

柏の古文書や石像をず~っと調べて40年。
柏の歴史って素晴らしいので、ぜひお知らせしたいと思っています。