柏から流山へ、大堀川をさかのぼって

髙野
タカノ
博夫
ヒロオ
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今回は、柏市の西部を流れる大堀川に沿って、上流を目指します。平安時代の古文書に篠籠田が登場したように、昔から水利に恵まれ、暮らしやすい地域でした。また、終戦間際の昭和20年には、昭和天皇の信任厚かった元老、牧野伸顕が疎開地に選ぶなど、のどかな一面も残されていました。幾多の歴史を見つめてきた大堀川をたどる旅です。

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柏駅東口からバスに乗ります

Start
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10:00

篠籠田バス停から大堀川へ

こんにちは!歴史発見アンバサダーの髙野です。今回は市民のみなさんにウォーキングコースとして親しまれている、大堀川遊歩道をご案内します。
ハラデテル・イナバです!食欲の秋ですね!ますます腹が出てくるので、ウォーキングを初めてみようかな?
頑張ってください(笑)
大堀川に沿うように、江戸時代流通の大動脈だった、諏訪道があります。近くには歴史ある寺社もあり、あわせてご案内したいと思います。では、大堀川遊歩道へ!
大堀川遊歩道
大堀川は、流山市名都借付近を発し台地のしぼり水を集め、高田・松ヶ崎と篠籠田の境を流れて、呼塚地先から手賀沼に注ぎます。「こんぶくろ池」からの地金堀と合流し、大津川と共に手賀沼の主要な水源です。川沿いは「大堀川リバーサイドパーク」として遊歩道が3.8キロにわたって整備され、多くの市民で賑わいをみせています。
※地金掘(じがねぼり)=柏市を流れる川。大堀川の支流。
春には桜並木が楽しめるそうです。
車が通らないので安全に歩けますね!
しばらく歩くと「うなぎの水切り場」が見えてきますよ。
ウナギの水切場
大堀川の高田地先には「水切場」と呼ばれる場所があるのをご存知でしょうか。江戸時代、大堀川の左岸には利根川の布施河岸から、江戸川の流山加村河岸を結ぶ物流路「諏訪道」が通っていました。河岸とは川に設けられた物資の陸揚げ拠点で、物だけではなく人や情報も行き交いました。布施は柏市域最大の河岸として栄え、鮮魚類を多く扱ったので通称「うなぎ道」とも呼ばれています。鰻は江戸の人々の好物でしたが、活きたまま江戸の魚河岸に届けなければなりません。そこでおよそ一時間ごとに「水切場」を設けて清水に浸し、生気を取り戻す必要があったのです。
「うなぎの水切場」の説明書きがありました。
上から覗くと、鯉がたくさん泳いでいます。
「うなぎの水切場」は利根川の布施から、ちょうど1時間ぐらいの距離です。次は流山の野々下でもう一度水に浸し1時間歩き、加村まで運んだそうです。
もともと「うなぎの水切場」は諏訪道沿いだったのですが、整備で湧水が埋め立てられたので、説明書きが大堀川沿いに移されたそうです。
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10:30

ちょっと寄り道「地主神社」へ

地主神社
篠籠田地区内野に鎮座する地主神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)を祭神とし、明治23年に雷電神社、同41年に伊勢・住吉神社を合祀しました。社殿に保管されている阿弥陀一尊板碑は、文永11年(1274)に造立されたもので、下総板碑としては千葉県内で2番目に古く、この地域の長い歴史を物語る資料となっています。
奈良時代の古文書に「志古多谷」(篠籠田)」と地名が記載されており、その時代には集落が形成され「地主神社」も創設されていたのではと記されています。
すでに、奈良時代に、集落があったのでしょうか?水辺に人々が集まっていたというのは「歴史発見!」では基本ですね!
境内浅間神社
登ってみました。嘉永元年(1848)とあります。
「浅間信仰(富士信仰)は、奈良時代以降、富士山周辺を中心に関東や東海地方で盛んになり、江戸時から民間信仰として広まりました。
では、また大堀川歩道へ戻りまーす!
大堀川歩道をすすみます。
新堤橋から左へ入り西光院へ。
看板発見!
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11:00

篠篭田村のお寺「西光院」

西光院
篠籠田地区寺前にあり、報恩山無量寺と号する真言宗豊山派のお寺で、本尊に阿弥陀如来を祀っています。ここで毎年8月16日、お盆の施餓鬼の日、奉納されているのが「篠籠田の三匹獅子」です。祖先の霊をなぐさめ、五穀豊穣を祈願するもので、「大獅子」「中獅子」「女獅子」の三匹獅子を中心に、金棒つき・花笠・笛吹などで構成されています。特徴は獅子の頭が、龍神を象る「竜頭の獅子」となっていることです。農家のコメ作りで一番の関心事は、用水の確保でした。日照りによる水不足は死活問題となり、雨乞いのために奉納されたのが「篠籠田の三匹獅子」だったのです。

2022年「篠籠田の三匹獅子舞」

本堂
古い石仏が集められていますね。
道沿いにあった、庚申塔や馬頭観音、地蔵菩薩など石仏がたくさん集められています。
篠籠田の集落が、時代とともに整備され、移動を余儀なくされた石仏は西光院へ集まりました。境内に延宝2年(1674)の十九夜塔や、「房総の石仏百選」に選ばれた、延宝5年(1677)の弁才天など数多くの石仏を見ることができます。
ほかにも、境内には季節ごとに美しい牡丹や紫陽花なども楽しめますよ。
春には牡丹がみられます。
では、またまた大堀川歩道へ戻ります!

大堀川歩道へ戻り、流山の方へ歩いていくと、大堀川の向こう岸に「農産物直売所 かしわで」があります。
直売所の中に「農家レストラン・さんちや」があり、一休みに丁度良いと思います。
柏産のサラダや野菜のおかずが食べ放題だそうです!
それは良いですね!
では、いざ流山市へ!大堀川歩道へ戻っても良いですし、「かしわで」から成願寺へ向かっても良いと思います。
4
12:00

流山市駒木の「成願寺」

成顕寺
流山市駒木の大堀川左岸台地に立つ日蓮宗のお寺です。本堂は正面8間・側面最大十間の入母屋造りで、元治元年(1864)に建てられました。『八木村誌』によればもともとは真言宗の寺院でしたが、日蓮聖人の高弟、日朗上人(にちろうじょうにん)によって日蓮宗に改宗したと伝わっています。釈迦如来を本尊として祀っていますが、正面左手には諏訪明神の霊像も安置されています。成顕寺は諏訪神社の奥の院とも呼ばれる、神仏習合のお寺なのです。


成願寺縁起と龍神伝説
大同年間(806年~809年)に、弘法大師の弟子、桂傳阿闍梨(けいでんあじゃり)が農民を困らせる龍を退治し、その龍を風早明神(かざはやみょうじん)として祀って真言宗の道場寺として創建したと伝えられます。
その後、弘安年間(1278~1287)に日蓮宗の開祖・日蓮上人の高弟日朗上人が龍神を諏訪大明神として日蓮宗に改宗しています。
成願寺HPにも詳しく書かれています。

布施弁天にも、赤龍の伝説がありますね!
龍神は水を支配するといわれますので、川や水辺に龍神伝説が伝えられていることが多いのです。
神仏習合の時代は、成願寺は駒木諏訪神社の奥の院とされましたが、明治政府による神仏分離令の影響で寺社と寺院がわかれたそうです。
龍王堂正面にある鋳銅製の大型(直径90センチ)鰐口。文政7年(1824)在銘。流山市指定有形文化財(第3号)1980年に指定されています。
こんなに大きい鰐口、はじめてみました!大きい願いも叶いそうですね☆
では、大堀大堀川歩道へ戻ります。大堀川水辺公園を抜けて「駒木諏訪神社」へと向かいますよ。
良いお天気ですね(*'▽')
地元の方がスポーツを楽しんでいますね。
5
12:30

駒木の「おすわさま」と呼ばれ親しまれる神社へ

諏訪神社(流山市駒木)
建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀り、平安時代の創建と伝わる神社で、古くから近郷近在の信仰を集めてきました。境内は杉の老木が生い茂り、森閑として荘厳な雰囲気を醸しだしています。『八木村誌』によれば源義家が奥州征討の際に参詣して、戦勝を祈願。義家ゆかりの「鞍掛けの松』もあったと伝わっています。社殿は本殿と拝殿を、幣殿でつなぐ複合社殿となっていて、本殿には文政9年(1826)の棟札が残されています。
諏訪道から入る参道。大きな狛犬と「一之鳥居」があります。
おおたかの森SCへ行くときに、車で通ったことがありました。はじめて参拝させていただきましたが、とっても広いですね!
二之鳥居の先に「神橋」があります。渡った先には「神門」「三之鳥居」を抜けると、やっと社殿に。
「神橋」
七五三の頃でしたので、多くの方で賑わいっていました。
社伝によると、平安時代、大和国の高市皇子の末裔の一族が、森も水も豊かなこの地を新天地として定め、信州の諏訪大社から分祀・創建されました。
平安末期には、武将・源義家(八幡太郎)が、奥州に向かう際に立ち寄り、軍馬の調達をし、戦勝した帰路再び諏訪神社に立ち寄り、献馬をしたという伝承があります。

「源義家鞍挂之枩」
【石碑では「挂」、解説板では「掛」となっている。また『千年の森宣言』解説板では「懸」としている。】
鞍掛之枩の碑に添えて九百年前、源義家が後三年の役を終えて神恩報謝の為に、当神社に乗馬及び馬具を奉献した際に、鞍を掛けた松は第一鳥居前を五十米程前方の豊四季字鞍。
旧ライフ前の県道沿いにあった古老の言によると、臥龍の形をした見事な巨松であった明治初年の台風で古損した。
字名の鞍掛はこの松に由来する因に、この地の前の県道を境に北側は字名を姫宮というもと、当社の摂社姫宮神社の境内であった。
明治の中頃 神社は当境内にお遷しされた。(平成五年記 社務所)より
平安時代には、諏訪神社の一帯をはじめ柏も馬の産地でした。さらに江戸時代は、鎌倉幕府により「小金牧」として軍馬の育成地とされました。
大堀川を水源として、人々が移り住み農業が営みながら集落ができたのですね。心のよりどころとして神社も創建されたのですね。
今回は、柏から流山まで大堀川を歩きながら、付近の寺社仏閣もご紹介いたしましたが、いかがでしたか?
その地に伝わる伝説や、神社やお寺が創建された歴史など背景がわかると、より一層まち歩きも楽しくなりますね。次回も「歴史発見!」の旅を楽しみにしています☆

 

【 参 考 】
柏市史編さん委員会 平成19年『歴史ガイドかしわ』
柏市史編さん委員会 平成7年『柏市史 近世編』
柏市史編さん委員会 平成9年『柏市史 原始・古代・中世編』
柏市史編さん委員会 平成12年『柏市史 近代編』
流山市教育委員会  平成4年『流山市史 文化財編』

Goal !

この記事を書いた人

髙野
タカノ
博夫
ヒロオ
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柏の古文書や石像をず~っと調べて40年。
柏の歴史って素晴らしいので、ぜひお知らせしたいと思っています。