2021-10-28
はじめに:大津川を望み、伊勢神宮に向かう沼南の名社
塚崎地区の神明社は、かつて風早村の村社に指定され、中世この地に置かれた「相馬御厨」との関連も指摘される古社です。大津川の中流右岸、藤心地区に対する丘の上に鎮座し、鬱蒼とした森に包まれた境内は、豊かな歴史の流れを体感させてくれます。この神域は昭和52年、旧沼南町の「町民の森」に指定され、現在では「沼南の森」として一般に開放されています。
神明社の歩み:神社のはじまり
創建当時の資料が残されていないので、詳しいことは解っていませんが、『下総国旧事考』(明治38年・清宮秀堅)には「塚崎明神社、地元の人々は神明と称す。神鳳抄に云う、二所太神宮御領、下総国相馬郡云々、祀官守氏社人四名…」とあります。また大正12年発行の『千葉県東葛飾郡誌』には、「創建の年、不詳なりと雖も徳治(とくち)・嘉元(かげん)の間にあるものの如く、…」と鎌倉時代の年号が登場します。いずれにしても古来より、相馬郡近郷近在の人々から深く信仰を集めてきた神社でした。
相馬御厨(そうまのみくりや)
御厨とは天皇家や伊勢神宮などに、食糧その他を貢進する所領(荘園)です。相馬御厨は平安時代の大治5年(1130)、平経繁(たいらのつねしげ・常重)が、自らの所領を伊勢神宮に寄進して成立しました。この地はもともと経繁の先祖、平良文が開発し相伝してきた場所だったのです。伊勢神宮は各地の御厨に神霊を分祀したとされ、塚崎神明社もその一つと考えられています。神明社が鎮座する大津川(川の名称は近代か)流域は、相馬郡内では最大級の谷津田として稲作がおこなわれ、大井・戸張・増尾・高柳・塚崎などの村が営まれてきました。『本土寺過去帳』には嘉吉3年(1443)の年紀のある人物に「ツカサキ」という地名も記されています。
※年紀とは=平安末期から中世にかけて、他人の土地を一定期間継続して占有した場合に、その占有権が認められる特定の経過年数。
江戸時代の神明社
天正18年(1590)関東を付与され、江戸に入った徳川家康は、翌19年、領内の由緒ある社寺に朱印状を与え、所領を安堵します。この時、神明社も社領10石の朱印状を受け、幕末まで維持されました。神社の長い歴史に徳川幕府の権威が加えられたのです。塚崎村は江戸初期には幕府領でしたが、元禄11年(1698)本多正永の所領となります。本多氏はその後、上野国沼田藩を経て、駿河国田中藩に移封されますが、下総領1万石42か村は飛領地として残されました。本多氏の神明社への崇敬は厚く、宝暦7年(1757)には7代藩主本多正珍(ほんだ まさよし)が石鳥居を寄進しています。形は外宮鳥居に似ていますが、円柱でやや転びがあり、掘立型ではありません。本多氏は船戸と藤心に代官所を設け、飛領地の支配にあたりましたが、とくに藤心代官は、神明社の神職に名字帯刀などの待遇を与えています。
祭神
天照皇大神(アマテラスオオミカミ・大神宮)、応神天皇(オウジンテンノウ・八幡社)、武甕槌神(タケミカズチノカミ・春日社)の三神が、典型的な三社神明の形で祀られています。天照皇大神はイザナギ・イザナミの二神が万物を生み終え、最後に天下の主として生んだとされる最高神で、伊勢神宮に祀られています。武甕槌神は天照皇大神の命により、出雲の大国主命と交渉した「国譲り」で活躍した神で、鹿島神宮の祭神としても知られています。八幡神は応神天皇の神格が付与され、清和源氏が氏神としたこともあって全国に信仰圏を広げました。大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮に始まる神社です。
神官・守家
江戸時代の後期、日本における庶民の識字率は世界的なレベルにあったといわれています。この状況を作り出したのは村々の指導的な農民であり、寺院の住職や神社の神官たちでした。安政5年、日本の地誌の先駆けともいうべき『利根川図志』が刊行されます。内容はいうまでもなく利根川沿岸の名所・旧跡・伝承などですが、漢詩や和歌・俳句なども含まれ、和漢の古典も多く引用されています。値段も安くはなく、相当の教養がなくては読破できない本です。柏市域で購入が確認されているのは3人で、布施河岸で荷宿を営んでいた酒巻半平、泉村の龍泉院住職、そして神明社の神主守出羽守(もりでわのかみ)でした。守家は国学の伝統と地域の教養を主導した家だったのです。
神明社の秋祭り ~オゴゼンと十二座神楽~
毎年10月17日は、神明社の秋の例大祭の日です。15日には氏子たちによって大きな幟が立てられます。豊かな実りに感謝し、神様に収穫物をお供えするのが「オゴゼン」神事で、かつては近隣の多くの村々から神饌が奉納されていました。現在でも藤心と藤ヶ谷の2地区から野菜などの奉納がなされています。
この日、演奏奉納されるのが「十二座神楽」で、神域には笛や太鼓の音が響き渡ります。神話をもとにした神楽舞が中心で巫女・猿田彦・湯笹・狐・恵比寿・餅投げ・鐘馗・玉取・アメノウズメノミコト・大幣(おおへい)・大蛇退治・天岩戸という12の演目からなる荘重な舞楽です。かつては早朝から夜遅くまで演じられていましたが、人手不足もあり、近年では7~8の舞曲が演じられるようになりました。一番の人気は餅投げで、神楽殿の前は観衆で溢れます。神明社では、これに備えて5俵(300キロ)の餅を用意しているそうです。※令和3年度は、コロナ感染症拡大に対処するため、これらの神事は中止となりました。
境内の文化財:石鳥居
宝暦7年(1757)、領主であった田中本多藩7代藩主 本多正珍(ほんだまさよし)による寄進。
安山岩製で銘文は
(右柱)下総国相馬郡塚崎村 神明宮 石華表
(左柱)宝暦七年丁丑二月日
執政中大夫拾遺伯州刺史藤原正珍依為旧領采地謹建焉
(裏) 石工 小出次良兵衛」
御手洗石
拝殿に向かって左手に配置された角盤型の御手洗石。寛文9年(1669)、氏子たちが庚申待成就のために奉納したもので、御手洗石としては市内最古の造立。安山岩製で銘文は「敬白 信心旦那 奉納庚申待成就 寛文九巳酉年 御神前手水鉢」
神明社
祭神 天照皇大神・応神天皇・武甕槌神
住所 柏市塚崎1460
電話 04-7138-6436
交通アクセス 逆井駅からジャンボタクシー「塚崎区民会館」バス停下車、徒歩5分
参考文献
川名登『河川水運の文化史』
『沼南町史 史料集 金石文Ⅱ』
『沼南風土記』
『沼南風土記(二)』
『柏市史 (沼南町史 近代史料)』