2022-02-24
はじめに
健康長寿や福財といった私たちの願望を叶え、幸福をもたらす七人の神様、恵比寿(えびす)・大黒天・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁才天・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋尊(ほていそん)を七福神と呼びます。七は七曜・七仏・七賢などで用いられるおめでたい数字です。中世末期に成立したといわれる七福神は、近世以降は絵画彫刻・歌舞などで扱われるようになり、一般に広がっていきました。正月にこれを祭る社寺を巡ると、一年の福徳と健康が授かるとされ、さらに近年のハイキングブームや、地域おこしに一環として七福神霊場が新しく作られるなど、七福神巡りが流行してきました。柏市でも「かしわ七福神創設を考える会」の皆さんの尽力により、「かしわ七福神」が誕生しています。
【恵比寿(えびす)】
どんな神様?
烏帽子に狩衣、右手に釣り竿、左手に鯛を持つ恵比須は、七人の中で唯一日本生まれの神様です。元々、豊漁と航海の安全を守る海の神様として信仰されてきましたが、「エベスさん」と愛称されるように笑顔で、福徳を授ける神様となっています。
恵比寿信仰の総本社は西宮神社(兵庫県西宮市)で、全国に布教活動を行っていきました。江戸時代には幕府から全国での、恵比寿神の御神影札の独占的頒布権を認められていたのです。
若白毛(柏市)の小林家では、許可を得て恵比寿札を配りながら神職を勤めていました。
同家には西宮神社の神主吉井良行から出された付与許可証(寛保2年・1742)や、神職免許状(宝暦12年・1762)が残されています。
主な社寺
香取神社(旭町)【かしわ七福神 恵比寿天】
明治2年、新政府の窮民授産などを目的として行われた、小金牧開墾によって誕生した豊四季村の鎮守の一つです。本社は香取市の香取神宮で、明治22年に勧請されました。例年11月には境内に合祀されている大鳥神社は、昭和37年、大阪堺市に鎮座する大鳥大社からの勧請です。繁栄と火難防除の神様として、例年11月、酉の市が開かれ、大勢の人々で賑わいます。
住所 柏市旭町2-7-23
片山青年館(柏市片山)【恵比寿大黒天図】
大正2年(1913)軸装・紙本彩色で、片山村の住民が奉納したものですが、裏書には「手賀沼漁猟組合片山連中」とあります。手賀沼はウナギやコイ・フナなど、淡水魚の産地として、江戸(東京)に知られていました。沼で漁業をする村人にとって、魚を抱いた恵比須はぴったりの神様だったのです。
医王寺 【恵比寿大黒図絵馬】
医王寺の薬師堂にたくさん掲げられている絵馬のうちの一枚で恵比寿・大黒・布袋の三福神が描かれているようです。縦33センチ、横44センチの山形板絵で、奉納者の名前は残念ながら磨滅していて判読できません。
医王寺については、柏歴史発見!こだわり柏の社寺(1)【医王寺】をご覧ください。
住所 柏市鷲野谷510-1
【大黒天(だいこくてん)】
どんな神様?
豊かな体で福耳、頭巾に狩衣、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を担ぎ、米俵に乗っています。仏像は、如来・菩薩・明王・天の四つに大別されますが、大黒天は、弁才天や毘沙門天と同じく天の部に属します。天部は仏教が成立する以前から、インドに起っていた民間信仰の神々で、後に仏教に取入れられたとされています。大黒天も、元々はインド・ヒンドゥー教の破壊神シヴァに由来する、恐ろしい表情の荒々しい神でした。やがて日本に伝わり、発音が似ていた出雲神話の大国主命(オオクニヌシノミコト、大黒=大国)と同一視されるようになると、忿怒の表情は笑顔となり、台所や財宝を掌る豊作の神・家の神として祀られるようになったのです。
主な社寺
神明社 【かしわ七福神 大黒天】
塚崎地区の神明社は、かつて風早村の村社に指定され、中世この地に置かれた「相馬御厨」との関連も指摘される古社です。大津川の中流右岸、藤心地区に対する丘の上に鎮座し、鬱蒼とした森に包まれた境内は、豊かな歴史の流れを体感させてくれます。この神域は昭和52年、旧沼南町の「町民の森」に指定され、現在では「沼南の森」として一般に開放されています。
神明社については、柏歴史発見!こだわり柏の社寺(3)【神明社】をご覧ください。
住所 柏市塚崎1460
香取鳥見神社
【大黒天石祠】安永8年(1779)2月
【大黒天石祠】安政4年(1857)5月
698年(文武天皇2年)、香取神社の経津主神と鳥見神社の饒速日命を祭神として創建されました。別名「香取鳥見両神社」。
かつての社殿には精巧な彫刻が施されていましたが、1986年(昭和61年)に火災で焼失してしまいました。
住所 柏市布瀬1377
日蓮宗 宗賢寺 【大黒天坐像】
木造・三面六臂・像高2cm、江戸の講中によって奉納されたものです(拝観はできません)。
住所 柏市塚崎607-1
布施弁天東海寺 【大黒天立蔵】
木造・彩色・玉眼・像高38㎝、「金杉通り 伊勢屋伝兵衛」の銘文があります。布施弁天では、御本尊の弁天様(お前立)を真ん中に、向かって右側に大黒天、左側に毘沙門天をお祀りしています。いずれもインド由来の福の神で、3体並ぶ珍しい形です。
東海寺の引越しから布施弁天の隆昌へ
もともと、亀の甲山に祀られた弁才天と東海寺は別個の存在で、かつては布施村の古屋地先にあり、香取神社の別当を務める寺院でした。ここには現在でも、東海寺の歴代住職の墓塔が並んでいます。やがて領主の庇護もあって弁才天の評判が高まってくると、村人たちは亀の甲山への引越しを願いでました。宝永2年(1705)、東海寺は弁才天と一体となり、繁栄の道をたどることになるのです。『柏市史 近世編』によれば布施弁天が最も繁栄した時期は、本堂が建立された享保元年(1716)頃から天明7年(1787)頃までとされています。
布施弁天については、柏歴史発見!こだわり柏の社寺(2)【布施弁天】をご覧ください。
住所 柏市布施1738
臨済宗 大徳寺派 増尾山 少林寺 【大黒天立蔵】
木造・タワラまで一木造り・彫眼・像高8cm
永禄元年 (1558年)正月、重胤公の子孫にあたる相馬慶胤 (嗣嶽慶胤禅師)が、重胤公とその家来たちの供養と慰霊のために、 奥州相馬家より重胤公の兜の中に納められていた小さな観音像を増尾に請来し、増尾山少林寺が開山されました。(HPより引用)
HPはコチラ
住所 柏市増尾1365
福禄寿
どんな神様?
胴体の半分ほ どもある長い頭で、長い白髭を蓄え、右手に杖を持ち、長寿の象徴である鶴や亀を従えた仙人。中国の道教によれば、人命を掌る南極星(南十字星)の化身とされ、人々の願望である長寿の神様です。「福」は幸福、「禄」は好運と福財、「寿」は寿命を表し、この三要素をすべて兼ね備えた福禄寿。寿命数千年とされる福禄寿に、人々は子孫繁昌・富貴繁昌・健康長寿を祈りました。
主な社寺
豊受稲荷本宮 【かしわ七福神 福禄寿】
HPはこちら
住所 柏市豊四季972-14
寿老人(じゅうろうじん)
どんな神様?
中国の仙人のように道教服を着て白髭を蓄え、杖を持つ長寿の神様。姿や御利益が似ていることから福禄寿と同体異名とされたこともありましたが、今日では別の神様として七福神に並んでいます。違いは福禄寿が、鶴や亀を供としているのに対し、鹿を連れて桃を持っていることです。鹿も桃も長寿の象徴として考えられていていました。福禄寿も寿老人も、健康寿命を少しでも伸ばしたいと願う、現在の私たちにとても有難い神様です。
主な社寺
香取神社(戸張) 【かしわ七福神 寿老人】
像高65cmの布袋坐像(凝灰岩・年不祥)と、像高95cmの寿老人立像(かしわ七福神)が祀られています。
住所 柏市戸張1309
布袋尊(ほていそん)
どんな神様?
七福神の中で唯一、歴史上の人物がモデルとされているのが布袋尊です。でっぷりとした太鼓腹に福耳で、満面の笑みをたたえ、大きな袋を担いでいます。円満にして清廉な姿は、人々に愛され画題としても好まれました。中国唐代末の禅僧、契此(かいし)はこうした姿で諸国を放浪し、吉凶を占って外れることなく、雪の上に寝ても濡れないなど、伝説の人物となっていきました。これが弥勒菩薩信仰(お釈迦さまに次いで仏となり人々を救済)と重なります。布袋の担ぐ袋に中には財宝が入っていて、人々に分かち与えるとされ、現世利益の神ともなったのです。
主な社寺
福満寺 【かしわ七福神 布袋尊】
かしわ七福神が設置されています。
住所 柏市大井1708