2022-01-01
(1)常磐線柏駅(JR柏駅)
今日の柏の発展は、明治29年の鉄道開通による柏駅の開設が大きな契機となりました。当時はJR常磐線ではなく、日本鉄道株式会社土浦線と呼ばれ、明治22年、常盤炭鉱から産出される良質な石炭を、東京に輸送するのがこの鉄道敷設の目的でした。この時、千葉県内には松戸・柏・我孫子に駅がつくられましたが、水運で栄え、水戸街道の宿場としても賑わっていた松戸・我孫子に比べ、この頃の柏(明治22年から千代田村)は、水戸街道に沿って家々が立ち並ぶ程度の集落で、駅開設が見込める場所ではありませんでした。それにもかかわらず駅の設置が決まったのは、いち早く用地10町歩を提供した小柳七郎(布施)や、地主との交渉に尽力した寺島雄太郎千代田村長らの活躍があったからです。昌平坂学問所の儒官芳野金陵(松ヶ崎出身)から書生として教えを受けた小柳七郎。いまでも柏駅南口からファミリかしわを通り、パレット柏の脇を通る道には、「小柳町通り]という名称が付けられ、七郎の志が受け継がれています。
(2)柏二番街
ここは大雨が降ると、すぐに水があふれ出すところでした。水が引くと後にドジョウが残されていたそうです。
(3) 如春堂医院(二番街・マツモトキヨシ付近)
松ヶ崎村の医師、芳野南山の子供のうち、香山は卷石堂を継ぎ、金陵は昌平坂学問所の儒官となり、その弟道紀が開いたのが如春堂医院です。
(4)荷扱所石戸(二番街・石戸ビル、京北スーパー付近)
石戸さんは石戸さんは大井(旧 沼南町)の出身で、柏から沼南までバスの運行を千葉県に申請したこともありました。自動車屋をしていた関係から運送業を営んでいたそうです。
(5) 藤川酒舗
かつて造り酒屋を営んでおり、ここの地名「豊四季村」に由来して、醸造した日本酒を「四季豊」と名付けていました。
(6) 金子畳屋
(7) 柏湯
(8) 浜島石材店
(9) 小柳金物店
(10) 旅館小松屋
柏駅を降りた人々が目指したのは、駅前の小松屋旅館です。洋食を取りながらお茶を飲み、店の前にあった栄自動車の停留所から、柏競馬場や布施弁天・曙山に向かう車を待ちました。
(11) 萩原時計店
(12) サカエ自動車
昭和2年頃、花野井の吉田甚左衛門は「柏を関東の宝塚にする」として、大規模な地域おこしを計画し、実施します。範囲は手賀沼から利根運河までを想定し、東京から観光客の誘致を目指しました。中核となったのが豊四季地区に建設した柏競馬場で、ゴルフ場も併設していて皇族や政治家・官僚なども訪れました。観客たちを運ぶために営業を開始したのが栄自動車で、T型フォード車などが並んでいます。
(13)斉藤商店
駅前通りの斉藤商店は、オモチャやお菓子を販売していましたが、自転車の一時預かり所でもありました。
(14)風澤洋品店
風沢洋品店での歳末大売り出し。シャツ・ズボン・ショールや農作業用の田モモヒキなどが並び、人々の生活水準が次第に向上してきた様子が伺えます。
(15)富士屋果実店
(16)柏郵便電信局
柏村の草分けである寺島五兵衛家が明治35年に開局した郵便局。当時は個人の請負制でした。
(17)柏館
開館当初は芝居・浪曲を上演していました。人々の娯楽を集めた映画館となったのは、後の事です。
(18)中村輪店
当時、自転車は高価なのもで、庶民のあこがれでした。
(19)水戸屋割烹旅館
(20)八坂神社(柏神社)
(21)柏町役場
大正14年7月、千代田村役場として建設されたものです。その後、柏町役場となり、昭和21年役場が旧憲兵分遣隊に移ると、柏町公民館として市民に利用されました。
(22)岩田屋旅館
駅前通りと水戸街道が交差する要地にありました。
(23)東葛飾高校
このあたりには松林が広がっていて、キノコ狩りの絶好の場所でした。やがて東葛飾中学校(高校)や柏競馬場の開設により大きく変貌を遂げていきます。
(24)柏競馬場
吉田甚左衛門の地域おこし計画の中核をなす施設であり、新聞は「東洋一」と表現しました。
参考資料
柏市史編さん委員会 平成19年 『歴史ガイドかしわ』
柏市史編さん委員会 平成 7年 『柏市史 近世編』
柏市史編さん委員会 平成24年 『柏の歴史 柏市史研究創刊号』
柏市史編さん委員会 平成12年 『柏市史 近代編』
柏市史編さん委員会 昭和59年 『歴史アルバムかしわ』