はじめに
幽霊・龍・鬼・河童・土蜘蛛・雪女・蝦蟇仙人・狐・大蛇・天狗など、人々は超自然的な現象を妖怪の仕業として恐れてきました。同時に恐ろしいものに不思議な魅力を感じ、掛け軸などに描いて鑑賞もしてきたのです。現在、柏市郷土資料展示室で開催中の企画展ではこうした資料を展示し、興味尽きない「お化け」の魅力を紹介しています。また「日本民俗学の父」と称される柳田國男が少年期に不思議体験し、民俗学への契機となった資料も特別に展示しています。まだまだ続く柏の夏、ご家族みんなで「ゾッ」とクールダウンすること請け合いです。
【日 時】 令和6年7月19日(金)〜9月20日(金) 午前9時30分〜午後5時
【場 所】 柏市郷土資料展示室
【休館日】 月曜日(祝日、振替休日は開館)
【入館料・駐車場】無料・あり
【主 催】 柏市教育委員会
エントランス 「ねねこ河童がお出迎え」
お馴染みの妖怪、河童は「スッポン」や「カワウソ」が老いて変化したものとされ,頭上の皿に蓄えた水が力の源で好物はきゅうり。「水辺に出没する怪しい生き物」で,日本各地に伝承があります。
「 龍 」
護法の霊獣である龍は水の神様でもありました。利根川水系には多くの竜神伝説が伝わっていますが,柏市内にも龍の伝承が残され,布施弁天の紅龍伝説はよく知られています。紅龍山松光院東海寺,飛龍山円性寺,竹林山南龍寺,普龍山善照寺というように布施地区の4カ寺をはじめ、天徳山龍泉院(泉)など寺の名前にはたくさんの龍が使われています。
布施弁天の紅龍伝説
「布施島は美しい湖水の中に緑を浮かべ,筑波を望む景勝の地である。大同2年7月7日早朝,湖面に紅色の龍が現れ,土を掻き揚げ忽ちのうちに島を出現させた。天地はことごとく震え,奇雲が日を覆ってたなびき,洞穴から光明を放つ中,弁才天女が出現した。」(『布施弁才天本縁記』より)
布施村絵図 (元禄12年・1699)
知行替えによって本多氏が領主となったときに作成された村絵図。布施村の北を流れる利根川は,幾筋もの支流が流れ,中洲が点在する複雑な形をしていました。静かな時には鮭や鯉などの水の恵みをもたらしましたが,大雨が降ると一転して人々を苦しめる暴れ川となったのです。この大利根の流れを龍にたとえ,水を司る霊獣として敬ってきたのでしょう。
「蟠龍石(ばんりゅうせき)」と竜骨
布施弁天の霊宝で、『布施弁才天由来記 』に「弁才天第一の霊宝,蟠龍石宇賀神と申すは,石面に龍の形を顕し,龍のわだかまるをもって名付るなり(略)」とあり、安政元年(1854)取材のため布施弁天を訪れた赤松宗旦は『利根川図志』に「実に希世の珍なり」と絵入りで紹介しています。
志賀直哉は『雪の遠足』の中で、「山門の下から見た本堂のあつい萱葺は立派なものだった。私たちは堂内の絵馬を見上げ、それから丘を裏へ下り,一夜にできたという池を見た。(略)私たちはなお、寺の宝物――近年ここで掘り出された竜の頭蓋骨――を見、ふたたび前の茶屋に還ってきた。」と書いています。この蟠龍石は志賀直哉や芥川龍之介・大町桂月といった文人たちも拝んだ布施弁天の霊宝として,代々大切に受継がれてきました。
「 鬼 」
日本民俗学の先駆者・柳田国男は、少年時代を過ごした布川(現茨城県利根町)の徳満寺で衝撃的な発見をします。堂内の欄間に掲げられていた額には鬼の影が浮かんでいたのです。「…(略)… その図柄は、産褥の女が鉢巻きを締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影が映り、それには角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子供心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている。 …(略)…」(『故郷七十年』より)
「間引きの絵馬」は柏市柳戸の弘誓院にもあり、こちらは写真で紹介されています。額いっぱいに古文書で書かれているのは「子孫繁盛手引き草」。天保期に啓発のために作成されたもので、直後の弘化4年(1847)、秩父を訪れた柳戸近在の人々により奉納されました。全文が解読されているので興味のある方はご一読ください。
柳田国男の「不思議な玉」
「その美しい珠をそうっと覗 いたとき,フーッと興奮してしまって,何ともいえない妙な気持になって,どうしてそうしたのか今でもわからないが,私はしゃがんだまま,よく晴れた青い空を見上げたのだった。するとお星様が見えるのだ。今も鮮やかに覚えているが,実に澄み切った青い空で,そこにたしか数十の星を見たのである。 …(略)… 突然高い空で鵯がピーと鳴いて通った。そしたらその拍子に身がギュッと引きしまって, …(略)… あの時に鵯が鳴かなかったら,私はあのまま気が変になっていたんじゃないかと思うのである。」(『故郷七十年』より)
※「不思議な玉」は利根町歴史民俗資料館の所蔵で、徳満寺の「間引きの絵馬」とともに今回特別に展示されています。柳田民俗学の原点ともいうべき資料ですので、ぜひ現物をご覧ください。
鷲野谷村、染谷治右衛門の不思議体験「怪日現記」
文久元年(1861)11月26日朝,鷲野谷村の染 谷治右衛門は,不思議な体験をします。目の前に日輪二つと三日月が同時に出現、驚いた治右衛門はこの時の様子を記録し、後の人々のために「怪日現記」として書き残しました。展示資料には出現時の気象条件,時間,凡その距離などがスケッチされていて,衝撃を受けつつも客観的に記録しようという治右衛門の意図が伝わります。
治右衛門が驚いた怪現象は今日では「幻日」と呼ばれ,氷の結晶による光学現象と理解されています。理解出来ない不思議な出来事は、神か妖怪の仕業と考えられていた時代ですが、治右衛門のような見識ある人々も柏には生まれていたのです。
「 地蔵信仰と地獄の鬼 」
みなさんは死後の世界を信じますか。江戸時代は徳川幕府の政策「寺請制度」もあり、お盆などには村人たちがお寺に集まり、住職のお話を聞くのが習慣でした。人々は死ぬとあの世へ行き,閻魔大王や十王の裁きを受け、地獄や極楽などの行き先が決められます。閻魔大王の前には浄玻璃鏡があり,亡者が生前に行った善悪のすべてが映し出されるのです。結果,悪事を行ったものはすべてが露見し,因果応報により地獄行きが言い渡されます。十王図には鉄の棒を持って亡者たちを責め立てる,恐ろしい地獄の鬼が描かれています。
路傍の石仏には「二世安楽」や「後生菩提」という言葉が刻まれていますが,どうしても地獄は避けて,極楽に行きたかったのです。
源為朝と鬼
鬼は力が強く凶悪で、恐ろしい角を生やしていること。感染力が極めて強く,致命率も高かった疱瘡(天然痘)を鬼に見立て、病気平癒を祈った絵馬です。絵馬の左に描かれた源為朝は源氏の猛将で,鬼が必死に弓を引っ張っても,涼しい顔。健康長寿に霊験あらたかな薬師如来の信仰が厚い、医王寺に奉納されました。
地蔵信仰
平安時代に広がった信仰で,人間が死後に向かう六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に自由に出入りができる地蔵菩薩(六道能化)。幼くして死んだ子供は成仏しにくいという思想があり、親にとって賽の河原にも行ける地蔵は、藁にも縋る存在だったのです。
「 幽霊 」
幽霊といえば四谷怪談の“お岩さん”。毒を盛られて髪が抜け落ち、顔がただれていくシーンは特に有名です。このコーナーには“お岩さん”をはじめ、怨念をもって死んだ女性の幽霊が並んでいます。一人で中に立っていると幽霊たちの視線を浴び、体温が一度くらい下がります。(個人差あり)
「 錦絵の妖怪 」
江戸時代、妖怪人気が盛り上がったのは錦絵や歌舞伎の題材に取り上げられたことも大きな理由です。代表的な作家、歌川国芳などの作品が並んでいます。
「 柏のむかし話 」
柏市内に残るむかし話には、龍やカッパなどが登場します。このコーナーでは柏市観光協会が作成したデータをもとにして、これらを紹介しています。
所在地
柏市大島田48-1(柏市沼南庁舎内)
電話番号
04-7191-1450(平日の休室日のお問合せ先は文化課04-7191-7414)
開室時間
午前9時30分~午後5時
休室日
月曜日(祝日、振替休日は開室)、展示替期間、年末年始(12月28日~1月4日)(補足)展示替えのため臨時に休館することがあります。
施設の概要
入館・駐車場料 無料
交通
JR柏駅・東武柏駅東口から、手賀の丘公園・小野塚台・沼南車庫・布瀬行きバスで概ね午前9時台から午後4時台は「沼南庁舎バス乗継場」下車。徒歩1分。
これ以外の時間帯は「大木戸」下車。徒歩2分