パレット柏「柏市民ギャラリー」で開催された個展「長縄えい子の画業」にて(2020年8月)
この絵も長縄先生の作品だったんだ…。
2020年8月に柏市民ギャラリーで開催された個展「長縄えい子の画業」を訪れた私は、長縄氏の柏や東葛地域にかかわる作品の多さに圧倒されました。
また、展示されている油彩・挿絵・ポスターのどの作品も躍動感あふれ、登場人物たちは今にも画面から出てきそうな勢い。この躍動感はどこからくるものなのだろう…。
その秘密を探るべく、長縄氏、そして25年来のパートナーである竹島いわお氏にお話をうかがってきました。
個展「長縄えい子の画業」
――8月に個展を開催されたばかりでしたが、いかがでしたか?
長縄:実は、3月に犬の散歩中に転んで、手首と膝を骨折して、2か月間入院してしまって…。
竹島:いない間に、ぼくと友人の三坂さんで企画したんです(笑)。
――花野井の大洞院で筆頭総代を務めていらっしゃる三坂俊明さんですね。時々kamonにもいらっしゃいます。では、長縄先生が個展をやりたいとおっしゃったのではなく?
長縄:ええ…。
竹島:長縄さんが入院している間に、手描きのものや描きかけのものなど、いろいろ整理したんです。そうしたら、天袋のところから100号の絵が10枚くらい出てきて。はがれていたものなどを修理したりして、これを目玉のひとつにしました。
――この時期に、入場者1,500人を超えましたよね。
竹島:はい。「長縄えい子の画業」というタイトルをつけて、長縄さんが絵描きとして柏とどうかかわってきたのかを見てもらいたかった。いい展覧会ができたのかなと思っています。
子ども時代の思い出
――では、まずはそんな長縄先生のバックグランドから。東京の深川でお育ちになったそうですが、どんなお子さんでしたか?
長縄:うちの前がアスファルトの道路だったので、ろう石で絵をよく描いていました。ろう石が私の宝物。
竹島:今と違って車もほとんど通りませんしね。
長縄:それと、うちの近くに商船学校があって、造船所の進水式もよく見に行きました。ここからいろんなところに行けるんだなって。世界中があそこで見える気がして。
――長縄先生の作品には、外国の人物を描いたものも多いですが、その頃から、外国へのあこがれも?
長縄:ありましたね。子どもの頃は駐留軍がいてアメリカにあこがれていました。それと、母がよくシャンソンを歌っていたので、フランスにもあこがれていました。
竹島:実は、長縄さんのお父さんの親戚にあたる人が日本画家の川崎小虎さん(※1)なんですよ。
(※1)川崎小虎(かわさきしょうこ、1886~1977年)。日本画家。初期の作品は幻想的な大和絵だったが、晩年は身近な自然や動物など素朴な主題を描いた。長女・川崎すみは、東山魁夷の妻。
長縄:家が近かったので、しょっちゅう絵を描きに遊びに行っていました。どんな絵を描いても怒らなかったですね。あと、父の弟が役者だったんですよ。空襲で亡くなったんですけど。
――何の役者だったんですか?
長縄:歌舞伎です。中村鶴太郎という、中村の姓で。
竹島:両国と錦糸町の間にある本所緑町というところに、寿座という歌舞伎小屋があって遊びに行っていたんですね。
長縄:そこで、女形(おやま)をやっていたのよ。
竹島:この「芝居小屋」という作品なんですが、役者が化粧する歌舞伎劇場のイメージがこのなかにあると思うんですよね。親戚に日本画家や歌舞伎役者がいたということは、長縄さんにとって影響が大きかったのではないかと思います。
長縄:化粧といえば、うちのそばに造船所が多くあって、船をカンカン叩いて錆びをとる女性たちがいたんです。夜になると化粧して銀座にくりだしていくので、「カンカン娘」という美空ひばりの歌ができたんですよ。そんなことを思い出すわ。
セツモードセミナーへ
――学校を卒業されてから絵のお仕事を?
長縄:伯父が理容美容新聞社の社長だったのでイラストを描いたりしていたのですが…。
竹島:高校を出てすぐに結婚したんですよね。
長縄:いい男だったからね(笑)。30年ほど前に亡くなりましたが。
――では、本格的に絵を描くようになったのは?
長縄:30歳を過ぎた頃、子育てをしながら、セツモードセミナーに週3日くらい通っていました。
竹島:長澤節(※2)が主宰する美術学校です。グラフィック界で、一世を風靡しましたからね。当時めずらしい私塾なんですよ。
(※2)長澤節(ながさわせつ、1917~1999年)ファッションイラストレーターの草分け。校長を務めたセツモードセミナーからは数多くのデザイナーやイラストレーターを輩出した。
――どういうきっかけで?
長縄:それは好きだったから。自分が一番好きなことをもっていれば、それが貯金になって、老後に幸せになるのよ。お金を貯金してもそのうちなくなるけど、好きなことは貯金すればするほどたまるの。
いしど画材での絵画教室
――では、画家になられたのも、がむしゃらに努力して…というわけではなく?
長縄:好きじゃなきゃやっちゃだめよ。今も柏二番街商店会のいしど画材で子どもたちに絵を教えているけど、うまくなくてもいいから自由に描かせようと。好きでやめられなくなったら、こんなにいいことはないじゃない!
竹島:絵画教室は今は2時から5時しかやってないですが、昔は朝から晩まで描いている子もいたんですよ。
長縄:何時間いてもいいわよ、何時に来てもいいわよ、何時に帰ってもいいわよって。
――お題は出したりするんですか?
長縄:ものを置いておくの、例えば葉っぱ。大きくなろう、のびようとする力があるから、色を塗るときも鉛筆よりはみ出して描こうよ、囲みの中にものを描くのをやめようよって。はみだすことによって広がりが見えるでしょう。
――教え子で画家になった方もいらっしゃるんですか?
長縄:いっぱいいますよ。藝大に行ったり、プロの画家やデザイナーになったりね。
――いしど画材で絵画教室を始めることになったきっかけは?
長縄:ある日、常磐線の中でたまたま石戸新一郎さんと会ったんですが、「画材屋を開いたんだけどお客さんが来ない。どうしてかなあ」とおっしゃるので、「絵描きがいないからよ。絵描きを育てようよ」って言って、すぐに教室を開くことになったんです。
竹島:1975年から今まで45年間続いています。教え子は1,000人を超えるんですよ。
福音館書店社長との出会い
――石戸さんとの出会いは大きかったんですね。最初に柏にいらっしゃったのはいつ頃ですか?
長縄:荒工山団地に引っ越してきたのが最初です。父が新しいもの好きで。
竹島:昭和38年くらいのことじゃないかと思います。荒工山団地は日本の公団の第一号ですから。当時ドアひとつで家に入れるのはあこがれでした。
長縄:荒工山団地で、後に福音館の社長になる時田史郎さんと会ったんです。
竹島:節さんの次に会う大事な人ですよ!
長縄:そこで、時田さんや図書館の人たちと一緒に「とんとの会」という子どもの本の会を作ったんですよ。
――荒工山団地で?
長縄:ええ。とんとの会の事務所は荒工山団地にあって、30年以上、図書館の人たちと活動しました。
――読み聞かせの会ですか?
長縄:読み聞かせもやりましたが、そのほか、「どんな本がおもしろいか」とか「抽象的な言葉は使うのをやめよう」とか、「“それで”とか“あの”を使うのはやめよう」とか、そんな情報交換をしていました。
竹島:それで福音館とつながりができて、『くつしたかして』を出版することになったんです。
長縄:最近、この本の復刻版が出版されたばかりなんですよ。
ニューヨークでの展覧会
――海外にも何度もいらっしゃっていますね? 印象に残っている国は?
長縄:ニューヨークですね。
竹島:これまで3回行きましたが、2回目のときは2001年の9.11のすぐあと、9月29日に入ったんですよ。
――なぜそんな時期に?
長縄:世界中の作家が集まってくれって電話があったんです。
竹島:もともと決まっていた展覧会だったんですけどね。
長縄:今展覧会をしないとアメリカが戦争状態になるって。
竹島:臨戦状態でした。例えば、ビルは全部星条旗で囲んであるとか。
長縄:どんな家にも星条旗の小さいものでもついていないと、ガラス割られるのよ。
竹島:ソーホーあたりでも、ものすごくにおうんです。
――におう?
竹島:焼けただれたにおい。グラウンド・ゼロの反対側がウォール街なんですね。
長縄:動物園や植物園、オペラも、通常に戻ろうということで、無料にしたり安くしたりしていましたね。
竹島:でも、展覧会はお客はほとんどこなくて、絵はあまり売れませんでした。
カンボジアでの絵画指導
――カンボジアも何回か行かれていますね。
竹島:2000年に「カンボジアに学校を贈る会」代表の岡村眞理子さん(※3)に誘われて、カンボジアの学校の先生に絵の指導に行ったんです。
(※3)岡村眞理子(おかむらまりこ、1947~2006年)カンボジアの内戦終了直後の1993年、UNTACの一員としてボランティア活動を行った経験により、1994年、柏で「カンボジアに学校を贈る会」を立ち上げる。2006年闘病の末、逝去。
長縄:当時カンボジアでは、国語と算数の先生はいても、絵の先生はいなかったんです。3週間くらいかけて、54校の先生に指導しました。あるとき、自分の手を描いてみようと言ったら、指紋があることも知らなかったくらいなんです。
竹島:小学校の先生たちはポルポト時代に幼児期を過ごしているので、絵や音楽の教育を受けていないんですね。2回目はシャンティ(※4)で行きました。このときは、「自分たちの国の絵本をつくろう」というテーマで、福音館書店などの出版社の絵本をもらってクメール語の言葉を貼ったり、自分たちで絵本を作ったりしました。
(※4)公益社団法人シャンティ国際ボランティア会。1981年に設立以来、アジアでの教育・文化支援や国内外の緊急救援の活動を行う。
長縄:「ここは手で持つから、ここに絵を描いてはいけない」とか、「はみ出すことによって大きく見える」とかね。
竹島:2000年に初めてカンボジアに行ったとき、帰りがけにアンコールワットへ写生に行って、帰国してから油絵にしたのが「アンコールバイヨン」。2001年に柏市に寄贈して、今、柏市役所本館1階の市民課ロビーに展示されていますよ。
大洞院の壁画「遊戯(ゆげ)」
――柏での活動について教えてください。2005年には花野井の大洞院で40メートルにわたる壁画を完成されましたが、どのような経緯で依頼されたのですか?
長縄:あそこはお寺の中でも西日しかあたらない寂しいところなんです。だから人に来てもらえるようにって、先代の住職の木村誠治さんに頼まれました。壁に葉や花びらがくっつかないように、秋に枯れ葉が散って、桜の花が咲くまでの間に描かなければならなかったので、とても寒かったんですけどね(笑)。
竹島:北風に塔婆がカタコトいって(笑)。
――「遊戯(ゆげ)」というのは?
長縄:全部子どもの遊び、鬼がテーマなんです。日本は鬼を大事にする。鬼ごっこでもかくれんぼでも鬼がいるでしょ。
竹島:「遊戯」と名付けたのは先代の木村住職なんです。
――何を描いてほしいという注文はあったのですか。
長縄:何も言われませんでした。今鬼がいじめられているから、鬼を遊ばせてあげたいなと思って。
柏の作品あれこれ…
――その他にもたくさん柏のイベントのポスターなどを手がけていらっしゃいますよね。
長縄:これは手賀ジャズ、10年にわたってポスターを手がけました。
竹島:実行委員の矢島さんは寝具屋さんでね。
長縄:稼業よりもピアノ弾いていたっていう…(笑)。
竹島:柏市音楽家協会のポスターは、100回を超える定期演奏会のほとんどを手がけていますね。
竹島:これは「柏大道芸祭」のポスター。
長縄:小柳満雄さんから頼まれて描きました。
竹島:スタジオWUUのオーナーさんです。大道芸人のギリヤーク尼ケ崎さんを呼んだときのものですね。
竹島:それから、この本は貴重ですよ。柏駅前の梅林堂の初代の話です。
長縄:聞き書きを依頼されたんです。たくさんあって、なかなか終わらなくて、夕食の差し入れをしてもらったくらいで。
竹島:梅林堂さんは戸板やムシロで飴を売っていたんです。その聞き書きをまとめた本と絵本にしたものがあるんですよ。
長縄:初代は丹下左膳(※5)が好きでいらしたの。役者志望でね。丹下左膳の格好をしてクリスマスケーキを売りに行ったら、2,500個も売ったって。
(※5)丹下左膳。大衆作家・林不忘(はやしふぼう、1900~1935年)の時代小説の主人公で、片目片腕のニヒルな剣士。大河内伝次郎(おおこうちでんじろう、1898~1962年)の主演作品など、多くの映画が製作された。
職人的な技術
――今後挑戦してみたいことはありますか?
長縄:今YouTubeでピアニストとコラボしているんです。
竹島:新しい企画で、長縄さんの絵本を柏出身のピアニストの児玉さや佳さんが、オペラとして作曲しているんです。ぜひYouTubeを見てください。
竹島:一作目は『すてきなうちってどんなうち』、二作目は『魔法の森』、三作目は『うさぎのつくったハンバーグ』。
長縄:ウサギの足跡って、座っているときは長いの。立つと前足だけだから足跡が違うのよ。
――知りませんでした!
長縄:ウサギは昼間は寝ていて、明け方と夜が好きなんですって。だから学校は静かなウサギを飼うって。そういった生態を調べないと…、メルヘンだけじゃ本当のことは描けないんですよ。後ろにサイエンスがあることを考えないとね。
――長縄先生の絵の登場人物は躍動的な動きをしていますが、人の体の動きはどうやって学ばれたんですか? 例えば、後ろ姿を描くときとか…。
長縄:それは…私プールに通っているので、そこで人の背中とかアキレス腱とかを見るんですよ。
竹島:例えば、音楽家協会のポスターを頼まれたら、楽器について調べるでしょう。どういう格好で弾いているかとか、ピアノもいろんな種類があるから、下絵を描いたりして…。
長縄:首をまわしながら弾いている格好なんか好きよ!
竹島:キリスト教保育連盟の月刊誌『キリスト教保育』でも30年ほど挿絵を描いていますが、子どもがどんなふうに自転車をこいでいるかなど、子どもの活動は見なくても頭に入っている。それはある種の職人的な…長年絵を描いてきているからなんですね。
――最後に、長縄先生にとっての柏の魅力は?
長縄:やっぱり好きだわね、人が、柏の人が。石戸さん、時田さん、小柳さん……みんな好き。
後日、お借りしていた写真を返却するため、いしど画材の絵画教室を訪れたときに、お子さんたちがのびのびと絵を描いている姿を目のあたりにして、はっとしました。
ここは外部の私が居心地の悪さを感じることもない、誰に対しても開かれた空間…。長縄えい子という人は絵に対しても、人に対しても垣根がないのだなあ、と。
そんな長縄氏だからこそ、登場人物一人ひとりがキャンバスの中で自由に生きる命を吹き込める…。私が作品に感じたのは、生きる喜び――“好きなことを貯金”してきた長縄氏の思いや情熱なのではないしょうか。
長縄えい子(ながなわ えいこ)
1937年東京深川生まれ。1971年セツ・モードセミナー卒業。
1975年よりいしどアートスクール講師を務める。
絵画作品展は、1987年「今昔物語幻想」展(銀座・ふそうギャラリー)、2000年「化粧する闇」展(アミュゼ柏1階)など、国内はもとより、ニューヨーク、カンボジア、スリランカなど海外でも多数開催。
『くつしたかして』(『こどものとも年少版』1980年2月号、福音館書店)、『TSUNAMI つなみ』(2005年、たけしま出版)などの絵本作家としても知られる。2006年に野田市の月刊誌『とも』連載のエッセイを『老婆は一日にして成らず』(たけしま出版)として出版、2020年に4冊目を出版する。また、柏をはじめとする東葛地域の文化団体や商店会等のポスターやチラシも数多く手がける。
2020年8月、パレット柏「柏市民ギャラリー」にて、個展「長縄えい子の画業」を開催。
取材日:2020年10月1日
取材場所:カフェ カルディ―
撮影:紅林貴子