私が児童文学のおもしろさに目覚め、大学院に進んで本格的に研究をはじめた80~90年代
(修士論文のテーマは1950年創刊の「岩波少年文庫」でした)、
日本の各地にあった児童書専門店にもよく行きました。
漠然とそうした本屋の佇まいにひかれつつ、卒業後ひとまず都立高校の教員(国語)になりましたが、それからは、教員生活と児童文学の研究活動と、
両方をしながら20年あまりを過ごしました。
高校では、いろいろな生徒と出会い、それはそれで楽しく充実していましたが、
教育現場もどんどん忙しさが増し、このままでは児童文学の研究もなかなかできないと、
なんとなく人生が窮屈な感じになってきたとき、「そろそろ、漠然とあこがれていた本屋をやってみようか」という気持ちが強くなってきました。
それで、東京ブックフェアの書店経営のセミナーに行ったり、日本各地のいろいろな本屋を見て歩いたり、東京の青砥にあった「たんぽぽ館」という児童書専門店の店主さんに
相談に行ったりしました。2000年代に入った頃です。
それで、つくづくわかったのは、本屋の経営はどんどんきびしくなっているということ。
大型書店とネット書店のはざまで、個人経営の街の本屋はどんどんつぶれているということでした。
そんな時代に本屋をやるなら、それなりの覚悟と工夫が必要だと思いました。
まず、本屋の収入では、テナントを借りて家賃を払うのはむずかしいと考え、
退職金をはたいてでも自分の店舗を建ててしまう方がいいと思いました。
それで、いろいろな場所(千駄木とか上野とか浅草とか……)を探しましたが、
結局いちばん「安心」できるのは、自分が生まれ育った柏だと思い直し、
2006年ころに今の店の場所を見つけ、店舗を建てました。
しかし、すぐに教員をやめることはできなかったので、4年間くらいローンを返しつつ、
店はそのまま空いていました。
その間に、父が日曜大工で少しずつ少しずつ、店の本棚を作っていきました。
また、これからの本屋は、本をならべて置いておくだけではネット書店に勝てないので、
2階にイベントスペースを設けました。
たとえば、絵本の原画展や作家さんに来ていただいてトークイベントやサイン会をしたり、
おはなし会をしたり、あるいは、レンタルスペースにしていろいろな方に使ってもらったり……。
人が集まり文化が交流する場にしたいと考えました。
いちばん準備に難航したのは、本をどこから仕入れるかということでした。
当時は、本の問屋である「取次」会社と契約するには、2~300万円くらいの契約金が必要で、
そもそも売り上げの小さな個人書店など相手にされていませんでした。
ただ、うちの場合は、自分の店舗を持っていたので、それを抵当に入れてなんとか契約してもらうことができました。
それから、本というのは利益が2割くらいしかありませんが、雑貨の方が仕入れ利率が高いものがたくさんありましたので、本といっしょに雑貨を置くことも考えました。
東京の雑貨フェアなどに出かけて、いろいろなメーカーさんと知り合い、
店に合う雑貨を選ぶのは、わくわくしました。
そんなふうに工夫しても、なかなか経済的に成り立たないことも予想し、
高校教員時代から兼業していた大学の講師も少し増やして続けることにしました。
もし、それでも食べて行かれなくなったら、自宅のそばにあるファミレスで夜にバイトをすることも考えていました。
「教員をやめて本屋をやる」と言うと、多くの人から「もったいない」「だいじょうぶ?」と心配されました。
私自身不安ももちろんありつつ、それでも本屋を始めることにしたのは、私にとって
本屋をするということは、金銭的な利益よりも、「児童文学の研究の現場を持つ」
(評論を書くことは、私にとっては創造活動でありライフワークです)ということと、
「社会とつながる活動をする」ということ、そこにお金だけではない宝ものがきっとあるはずだと思えたからです。
かくして、ひとり本屋の相棒として、生まれたばかりのフクロウを飼いはじめ、2010年10月10日、ハックルベリーブックスは開店しました。 (つづく)