もうひとつの柏5:なぜ梨農家が地あぶら仲間になったのか

柏マニアNo.
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杉野
すぎの
光明
みつあき

すぎの梨園

プロフィール詳細

今年のヒマワリの季節は過ぎてしまいましたが…

想像してみてください。
夏の青空の下、市内のあちこちの畑でヒマワリが咲いている光景を。

想像してみてください。
ヒマワリの花にミツバチや虫たちが集まり、土中の微生物たちも活発に動き回っている様子を。

想像してみてください。
オレイン酸やビタミンEがたっぷり含まれたヒマワリ油を日々の食事や美容に使うことで生き生きした毎日を暮らしている姿を。

想像してみてください。
ヒマワリ油が柏の新たな特産物となって、ほんの少し農業経営がより楽しくなることを。

ヒマワリの花は虫たちも大好き



集落の隣にヒマワリ畑



なぜナシ農家のわが家が“地あぶら”仲間になってしまったのか。

そのきっかけは、わが家の畑の周りの遊休地化でした。
となりに荒れた畑があると……雑草の種が飛んでくる。害虫や病気の発生源になる。なにより最近はタヌキやハクビシンなどの害獣の棲み処になる。つまり周りの農地も管理されていないと自分の畑の生産にも影響が出かねないというわけです。
わが家のナシ畑でも近くの畑の担い手がいなくなり放置されてしまいました。さらにそのまわりは長年放置されてきました。ここで農業を続けるなら、担い手のいないその農地を自ら管理しなければならない。そんな思いが高まっていました。

地主さんの好意で運よくお借りできたものの、さて、どうしたものか。
ナシ栽培の経営規模を拡大するには借用期間や施設への投資との兼ね合いがあって難しい。新しい畑作物に取り組むにも技術も余分な労力もない。では、トラクターで耕うんしていればいいか。それとも緑肥用の草で管理するか。どちらにしても燃料費や種代が持ち出しになるだけ。手間がかからず、少なくとも経費分ぐらいはお金を回すことができ、できれば社会的に意義のあることができたらいいのだが…。(“緑肥”とは植物を腐らせずに土壌に入れて耕し肥料にすること。たとえば田植え前のレンゲのような植物を緑肥作物といいます)

そんな時、小規模な搾油施設が各地にできて、地元でとれる油“地あぶら”づくりが始められていると知りました。
柏でもまだ“油屋”という屋号の家が残っているムラがあるのではないでしょうか。かつては菜種を各自の家で作って、それを“油屋”さんで絞ってもらって家の灯りや食用にしていたのではないでしょうか。50年以上前ですが、わが家の近所に“油搾り”と呼ばれる家があって、木製の大きな搾油機械があったのをおぼろげに覚えています。その後、わが国では大手メーカーの“サラダ油”が流通し、“地あぶら”と呼べるような身近な油は姿を消しました。その原料はほとんど海外から輸入したもので、その結果、今では食用油の国内自給率は数パーセントになってしまったということです。

油脂作物ねえ……。これまで考えもしなかったけど、ヒマワリなら栽培も省力でできそうだし、花を咲かせるだけでもいいか。
とはいえ、これまでヒマワリ油を作ったことはありません。NPO手賀沼トラストの仲間たちに声をかけて一緒に勉強することに。三年目以降は栽培場所を我孫子市内に移しました。今では我孫子市の景観形成助成事業にも採用されて手賀沼湖畔で毎年迷路遊びの場を提供しながら、食用油づくりに取り組んでいます。

ヒマワリ油をつくるには種子の収穫、調整、乾燥が問題になります。作業の機械化も稲作機械を単純に応用することはできません。当面は手作業で進めることになります。とくに種子を脱粒するのが大変な作業です。初めは手のひらで擦って落としていましたが、すぐに手袋に穴が…。乾燥が十分にできなく50リットルぐらいの油を無駄にしたことも。そんな経験を重ねて仲間たちの知恵と工夫により簡易種子取り装置を開発するなど手作業による製造工程もほぼ確立できてきました。

わが家では、たまたま農業で障がい者雇用をしている企業とお付き合いしていました。手作業によるヒマワリ油づくりなら障がい者の皆さんが関われそうです。ヒマワリの収穫期が8月9月で、梨の収穫とかち合います。そこで、わが家で機械と場所を用意し、彼らに主に種子採り作業を任せるという分業体制で、ヒマワリ油生産・販売をわが家の一部門とすることにしました。道の駅しょうなん農産物直売所でわが家ブランドのヒマワリ油を販売しているほか、わが家の農産加工によるドレッシングにもヒマワリ油を使っています。

これまで機会あるごとにヒマワリの有用性をまわりに説いてきました。「ヒマワリは柏市の花の一つでしょ?レイソルカラーで市内を染めたらおもしろいよね。種子を絞ってできる油も有用成分が多いので市民の健康づくりにも活かせるのでは」……しかし、大体の反応は「儲かるの?」でした。確かにその通りです。儲かるなら勝手にどんどんやっているよといった捨て台詞で話は終わっていました。

ヒマワリ油にはオレイン酸やビタミンEがたっぷり  
(すぎの梨園パンフレットより)



そんな時に突然、柏市のガバメントクラウドファンディングの対象事業にヒマワリ油づくりを採用したいという協力依頼がありました。
月に一回のひまわりクラブという作業体験プログラムに市民が参加し、ヒマワリの栽培からヒマワリ油の販売まで体験するというもの。このときは36件70万円の浄財が集まり、ひまわりクラブには30名あまりの方々に参加いただきました。
2019年からは道の駅の関連事業として、近くの畑で夏はヒマワリ、冬はナバナの栽培が続いています。ナバナは冬のつぼみの間は食用に、春になれば黄色く周りを彩ります。ヒマワリと輪作できる作物で、少しでもお金を回せないかと採用してます。モデル園地のようなところです。それぞれの花の時期に訪ねてみてください。

手賀沼湖畔の菜の花畑(柏市箕輪下)



ヒマワリを規模拡大するには新規に大型機械が必要ですし、新たな販路も開拓しなければなりません。道の駅農産物直売所でヒマワリ油は少しずつ売れていますが、ひろがりはまだまだです。ヒマワリのほかにエゴマも取り組み始めました。失敗続きで儲け話にはなっていません。文字通り、遊休農地で遊んでいるようなものです。

農地はそこで暮らした先人たちが,後世の安寧を願いながら山林原野を切り開き、水面を埋め立てて作ってきたものです。子孫のためにと代々引き継いできた農地をここで資材置き場やごみ捨て場などにしてしまったら、そんな先人たちの思いも断ち切られます。

ある時、隣の畑のおばさんが「もう体が疲れた」と愚痴っていました。
「せがれは手伝わないのか」と聞くと、金にならないことはしないのだそうです。
「でもね、こんな面白い仕事はないとオレは思うんだ。種を播けば芽が出て花が咲いて、そのうち実もつけるんだもの」

市街地の隣にヒマワリ畑


この記事を書いた人

すぎの梨園

杉野
すぎの
光明
みつあき
プロフィール

父の代から沼南地区で梨の栽培を始める。1973年から本格的に梨栽培を手掛け、1988年に就農。2013年には梨栽培を中心に農産物やジャム類・ドレッシングなど加工品も開発。梨シーズン中は自家直売所のほか、道の駅しょうなん農産物直売所でも販売。


また、休耕地を有効活用したひまわり栽培に取り組み、食の地産地消を目指してひまわり油を販売中。

参考サイト

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