第3回目の連載を書いてくれるのは、大学1年生の大熊謙輔君です。彼は小学6年生のときから CoderDojo Kashiwa に参加してくれており、今では自分が CoderDojo の運営側として変わらず関わってくれています。
このように、CoderDojo Kashiwa では持続可能なサイクルができあがっています。一体彼はどうして関わり続けてくれるのでしょうか。CoderDojo との出会いから今に至るまで、彼の物語をぜひご覧ください。
柏Dojoの1番の特徴
CoderDojo Kashiwaメンター、Kashiwa-Shounanチャンピオンで、大学生の大熊です。私は CoderDojo の生徒”Ninja”として参加し始め、今はメンターとして教える側として参加しています。今回は、私が子どもの頃からCoderDojoに通って、どのような影響を受けたか振り返ってみようと思います。
CoderDojo Kashiwaは、全国で初めて高校生主体で始まったCoderDojoです。他のCoderDojoの多くはプロのエンジニアの方が主宰していることが多いです。しかし、柏Dojoで教えるメンターの多くは高校生を始めとした学生です。タイミングによって左右しますが、大体メンターが5人いれば3人以上は学生です。
なぜCoderDojo Kashiwa には学生が多いのでしょうか?理由を2つほど挙げてみます。まず、近くの高校の生徒が多く活動しているからということが考えられます。柏市内には4つのDojo(柏、柏の葉、南柏、柏沼南)がありますが、柏の葉Dojoは、柏の葉高校の生徒が多く活動しています。高校内でメンターを募集し、世代交代もあり、高校の部活動のような形です。このような形でのボランティア活動には参加しやすいのか、スタートから6年目の今も世代交代しながら順調に続いています。次に、“Ninja”からメンターになる子が多いからという理由も考えられます。Ninjaとしてメンターに教えてもらっていた子が活動を見て、自分もメンターになっていき、自分の後の世代に教え始めています。かく云う私もその1人でした。
学生が多いことによる影響
私は、友人に誘われ小学6年生の時に CoderDojo に参加し始めました。その時のメンターは高校1年生の宮島さんたちとプロのエンジニアの方々。最初は歳が近い高校生のメンターと話すことが多かったです。大人と比べて緊張することが少なく、丁寧に教えてもらえました。そうやってプログラミングに親しんでいき何回も参加し続けました。
CoderDojoでは子どもたちがやりたいことをメンターと一緒に考えていきますから、対話しやすい環境は大事ですし、自分がやりたい作品(既存のゲームや作品のオマージュから入るNinjaは多いです。)を知っている可能性が高い学生は、子どもたちにとって接しやすい存在です。
また、私は中学生になってから当時やっていたScratchではない、他のプログラミング言語を学ぼうとしたとき、プロのエンジニアの方々にお世話になりました。当時学ぼうとしていたC言語を、エンジニアのメンターに詳しく教えていただき、ステップアップの足掛かりになりました。柏Dojoはプログラミングに親しみやすく、ステップアップもしやすい、そんな空間です。この繰り返しをする事で、どんな作品を作りたいか、どんなことをしたいかと言った目標が捉えやすくなりました。
創造力は好奇心から
CoderDojoに参加し続ける中、私は4歳違いのお兄さんたちが活躍されている姿を見続け、「自分もこうなりたい」と思い、Ninjaからメンターになりました。高校生になってからは新しく柏沼南地域にCoderDojoを立ち上げたり、学内では新しい課外活動を立ち上げたり、様々なことに挑戦して、今に至っています。
今考えるとそれらの大元は、Ninja時代やメンターの初期に培った好奇心なのかなと思います。ゲーム感覚でプログラミングを始められ、その中で「あれを作ってみたい」「こんな機能を付けてみたい」「こうするとどんな風になるんだろう」とたくさん考えてきました。今まで見向きもしなかったことに目がいくようになりました。そうして考えた結果、ゲームを始めとした作品を創りあげることになります。この事はプログラミングに限らず世の中のこと全てに通じるような気がします。
何かを創り出すキッカケ、それは好奇心だろうと私は考えています。